前回、「番外編」を挟みましたが、引き続き、
在宅透析8年目の私が、
2002年の自身の生体腎移植手術を、当時の日記を通して、振り返ります。
理由については、
在宅透析患者が、過去の腎臓移植手術を振り返る(エピソード0)
をご参照下さい。
今回は、手術後10日目から。
【腎移植患者の日記】腎臓移植手術を振り返る(手術後10日目~)
午前中突然、今まで体験したことのない“疲労感”を感じた。
全身がけだるく、朦朧としてるのに眠ることは出来ない。
体温上昇、しびれ等はなかったので、私見では拒絶反応ではないと思うが、今後もこうした「不測の事態」は起こるのだろう。
午後、やっとドレーンが抜けた。これで身体についていたモノ全てが取り外されたことになる。今後は積極的に動いての指示。
いよいよ大海原への船出です。これから起こりうる荒波をどう切り抜けていくか。自分は自分の出来るコトを確実にこなすことだけを考えよう。
2002年12月某日
昨日・一昨日の心身疲弊状態が、かえって何かを吹っ切らせたのか。
気分はスッキリ。
現在の状況を冷静に捉え、今自分は何をやるべきか。
先日母が購入してきた「免疫抑制」に関する専門書を、朝食前に目を通す。
今まで見えてなかったこと、知っていなければならなかったことが把握でき、今後の参考となった。
傷口の完全閉口を確認、晴れて手術後初めてシャワーを浴びた。
歩行リハビリも始め、廊下を計三往復。
午前、先生の往診で現時点の免疫抑制を伺った。
今は、拒絶反応に対して十分な(強めな)免疫抑制剤を投与しているという。
今後、3日のインターバルで5㎎づつ減らしていく予定とのこと。
たが、実際今日のプレドニンは、昨日の40㎎から10㎎減の30㎎。
順調に進んでいるのであろうが、逆にそれが拒絶反応をもたげる可能性も当然ある。
これからの2週間は依然予断を許さない状況なのである。
2002年12月某日
夜になり、左膝下に若干の違和感(継続的なものではなく、痛みとは違う)、20時の検温では37.0。
拒絶反応の始まりか(私見)。しかし、これは当然の経過。自分のすることは、この事実を先生に正確にフィードバックするだけ。
これからの一日一日が、微妙な綱渡りの連続なんだろう。しかし、何度も言っている。自分が出来ることを正確にする、そして〇〇先生を信じる。
2002年12月某日
本日の△△先生の回診によると、昨夜起こった膝の違和感は拒絶反応ではないとのこと。
拒絶反応時には、膝が曲がらない程の痛みやしびれがくるという。一先ず安心。
この一週間は、引き続きネオーラルの血中濃度検査を繰り返す(週3)。
と同時に、体内細菌の有無を血液検査で調べる予定とのこと。
午前中と就寝前の歩行リハビリでは、随分と「普通歩行」が可能となり、引き続き基礎体力回復に努めたい。
2002年12月某日
△△先生の回診
本日よりプレドニンが5㎎減の25㎎に。以後3日毎で5㎎づつ減らしていく予定
年末の退院の頃には5~10㎎になるとのこと。
ネオーラルの血中濃度は、現在は非常に良い曲線(一定期間内の濃度曲線)を描いており、当面はこのまま300㎎でいくという。
ネオーラル血中濃度は、食事や他の薬などに影響されるのであって、運動等では影響なし。
ヘマトクリットは現在はまだ27~29ほど。只、以前の自分の腎臓と違い、母の腎臓が自らエリスロポイエチンを出しているので、 徐々にその数値は上がっていく。
これからの1ヶ月間、サイロメガロウイルス・真菌等に感染した場合、軽いケースであれば免疫抑制剤を若干減らす程度で死滅させられるらしい。
もし高熱が続くようであれば、高ウイルス薬の投与等で対処する。
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昼14時頃シャワーを浴び、身体を拭く際、ふと最後のドレーンが入っていた口から「乳白色」のドロっとした液体が出ていた。
一度軽くふき取ってもまだ出る。あわてて病室へ戻りナースコール。
するとちょうど○○先生がいらっしゃって、すぐ病室へ。
結果は、ドレーン抜けが若干遅れたことで、皮下のリンパ液の残りが出てきたのだと(つまり中からの浸潤ではない)。
じつは、昨日の血液検査で、「体内のある箇所で炎症が起こっていると数値が上がる」項目があるらしく(CRP?)、熱が出ていない以上、あとの可能性はリンパ液かと思っていたのだと。
一応、その「乳白色」のリンパ液を採取し検査にまわした。あとは消毒処置。感染が一番の恐れなのでそれは念入りに行った。
消毒液付綿でしっかりふき取り、細い綿棒(もちろん消毒液付)を穴の入る所まで入れグリグリ(痛くはないが変な感じ)。
その後、生理食塩水で穴をしっかり洗浄。最後に薄いガーゼを中に潜り込ませ、厚いガーゼを貼り出来上がり。
1~2日シャワーを浴びられないが、今回の問題は「外科手術」の名残なので、特に問題なし。
2002年12月某日
補足
手術後、約2週間が経過したことになります。
これまでは主に、外科手術後の痛みや不快感に悩まされていたわけですが、
(自分の気持ちが向いていたわけですが)
最後のドレーンが取れたことで、次は、
「拒絶反応」「感染症」
に悩まされ、翻弄されていく段階に入っていきます。
"いよいよ大海原への船出です "
と、日記に綴っていますように、
これからが腎臓移植の難しいところ
ということは、当時の私も認識はしていたのでしょうね。
今では、「免疫抑制剤」「骨髄抑制」「好中球減少」といった言葉を聞いても、
どういうものか(どういうことか)、
私なり、素人なりではありますが、理解できます。
経験してるんで。
当時は、
専門書に目を通したり、先生に質問したりして、理解するよう努めてはいましたが、
なんだか得体の知れないもの(こと)のように感じられて。
身体のちょっとした変化に、一喜一憂("喜"はないですかね)してました。
「サイトメガロウイルス」なんて、怖そうな名前じゃないですか?
実際その後、こいつに相当悩まされることになるのですが・・・