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腎臓移植

【腎移植患者の日記】在宅透析患者が、過去の腎臓移植手術を振り返る(番外編)

2020年1月24日

worried

前回に引き続き、在宅透析8年目の私が、

2002年の自身の生体腎移植手術を、当時の日記を通して、振り返ります。

理由については、

在宅透析患者が、過去の腎臓移植手術を振り返る(エピソード0)

をご参照下さい。

本来は手術後10日目からなのですが、

このタイミングで「緊急日誌」というのがありましたので、

番外編としてご紹介いたします。

【腎移植患者の日記】腎臓移植手術を振り返る(番外編)

「緊急日誌」

これから始まる戦いの“本当の厳しさ”を、今(今夜)始めて感じたのかもしれない。

「六月の勝利の歌を忘れない」

先に行われたサッカーワールドカップ日本代表の、大会を通じたドキュメンタリーDVDだ。 消灯時間後セットし鑑賞。おととい既にPart1は見ている。作品の、視聴者をひき付ける吸引力はすごい。入手困難になるのもわかる。

不思議な体験をした。

映像に引き込まれるうちに、なんだか身体が軽く感じられる。数時間前まで感じていた“しこり”が取れたような・・・

それは、ワールドカップを見ていたあの時の感覚、つまり移植手術前の自分。

手術直後、何の管がどこに何本入ってるかなんてわからない、ただ朦朧としていた。

麻酔が切れることで襲ってきた傷の痛み。

大量点滴の水圧で、どうにもこうにも止まらなかった腕の痛み。

寝返り不可能状態が生んだ、背中の激痛。

他のことを考える余裕がない。

でも、「こんなんで負けてどうする!」と自分を叱咤激励する。

ただ、今はどうだろう?

日に日に管が一本抜け二本抜け、痛みも軽減、ドレーンは一本刺さっているが通常歩行にはさほど問題ない。

「外見普通」の人間になるに、そう遠くない。

そこに、移植した者の「落とし穴」が待っているんだ。

実際は、なんの自己抵抗力を持たず、外部感染になされるがままの「脆い人間」。

そんな自分が「普通」であると錯覚し、術直後には決してなかった「油断」が生まれる。

DVD終了と同時に、右下腹部(移植腎のある場所)に、なにかに押されるような強烈な圧力を感じた。それが今の俺だ。

真っ暗な病室のベッドの上。

涙が止まらなかった。

入院生活でこれだ。退院し自宅へ戻る。そして外へ出て社会へ復帰する。その過程で希薄化する「自己危機管理」。

これから先、自分の甘さを少しでも感じたら、今この時に感じた気持ちを思い出そう。俺には出来る。

いや、俺のために身を裂いて、再び俺を"産んで"くれたお袋のために、俺はやらなきゃいけないんだ。

2002年12月某日

解説

時は、術後9日目の夜中。

消灯時間後の真っ暗な個室部屋で「六月の勝利の歌を忘れない」を見終わった直後のことだと思います。

メンタルのバランスが、急に崩れたのでしょう。

手術直後数日間は、痛いし苦しいが、気持ちはシンプルで、

その痛み苦しみに向き合うことだけを考える、

それ以外の余裕はないのでしょう。

これが、肉体的にも精神的にも荷が少しずつ降りてくると、

気持ちの向く方向がバラけ出して、かえって不安定な状態になった、

今ではそう分析します。

「これ、俺が書いたのか??」

約20年前の自分の心情を、

「今」の自分が、正確に理解することは難しいかもしれませんが、

「類推する」ことは、できるでしょう。

当時の「私」は、

自分の心情を、上手く「言語化」できていないと思います。

文章が酔ってる、悪酔いしてる感じ。

でも、そこにこそ、

当時抱えていた心の脆さみたいなものが出てる、そう思います。

(ここでは深堀しませんが)

ドナー、レシピエント両者が背負う想いというものは、

複雑なものなのだということ、経験してみてわかりますね。

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