前回に引き続き、在宅透析8年目の私が、
2002年の自身の生体腎移植手術を、当時の日記を通して、振り返ります。
理由については、
在宅透析患者が、過去の腎臓移植手術を振り返る(エピソード0)
をご参照下さい。
本来は手術後10日目からなのですが、
このタイミングで「緊急日誌」というのがありましたので、
番外編としてご紹介いたします。
Table of Contents
【腎移植患者の日記】腎臓移植手術を振り返る(番外編)
「緊急日誌」
これから始まる戦いの“本当の厳しさ”を、今(今夜)始めて感じたのかもしれない。
「六月の勝利の歌を忘れない」
先に行われたサッカーワールドカップ日本代表の、大会を通じたドキュメンタリーDVDだ。 消灯時間後セットし鑑賞。おととい既にPart1は見ている。作品の、視聴者をひき付ける吸引力はすごい。入手困難になるのもわかる。
不思議な体験をした。
映像に引き込まれるうちに、なんだか身体が軽く感じられる。数時間前まで感じていた“しこり”が取れたような・・・
それは、ワールドカップを見ていたあの時の感覚、つまり移植手術前の自分。
手術直後、何の管がどこに何本入ってるかなんてわからない、ただ朦朧としていた。
麻酔が切れることで襲ってきた傷の痛み。
大量点滴の水圧で、どうにもこうにも止まらなかった腕の痛み。
寝返り不可能状態が生んだ、背中の激痛。
他のことを考える余裕がない。
でも、「こんなんで負けてどうする!」と自分を叱咤激励する。
ただ、今はどうだろう?
日に日に管が一本抜け二本抜け、痛みも軽減、ドレーンは一本刺さっているが通常歩行にはさほど問題ない。
「外見普通」の人間になるに、そう遠くない。
そこに、移植した者の「落とし穴」が待っているんだ。
実際は、なんの自己抵抗力を持たず、外部感染になされるがままの「脆い人間」。
そんな自分が「普通」であると錯覚し、術直後には決してなかった「油断」が生まれる。
DVD終了と同時に、右下腹部(移植腎のある場所)に、なにかに押されるような強烈な圧力を感じた。それが今の俺だ。
真っ暗な病室のベッドの上。
涙が止まらなかった。
入院生活でこれだ。退院し自宅へ戻る。そして外へ出て社会へ復帰する。その過程で希薄化する「自己危機管理」。
これから先、自分の甘さを少しでも感じたら、今この時に感じた気持ちを思い出そう。俺には出来る。
いや、俺のために身を裂いて、再び俺を"産んで"くれたお袋のために、俺はやらなきゃいけないんだ。
2002年12月某日
解説
時は、術後9日目の夜中。
消灯時間後の真っ暗な個室部屋で「六月の勝利の歌を忘れない」を見終わった直後のことだと思います。
メンタルのバランスが、急に崩れたのでしょう。
手術直後数日間は、痛いし苦しいが、気持ちはシンプルで、
その痛み苦しみに向き合うことだけを考える、
それ以外の余裕はないのでしょう。
これが、肉体的にも精神的にも荷が少しずつ降りてくると、
気持ちの向く方向がバラけ出して、かえって不安定な状態になった、
今ではそう分析します。
「これ、俺が書いたのか??」
約20年前の自分の心情を、
「今」の自分が、正確に理解することは難しいかもしれませんが、
「類推する」ことは、できるでしょう。
当時の「私」は、
自分の心情を、上手く「言語化」できていないと思います。
文章が酔ってる、悪酔いしてる感じ。
でも、そこにこそ、
当時抱えていた心の脆さみたいなものが出てる、そう思います。
(ここでは深堀しませんが)
ドナー、レシピエント両者が背負う想いというものは、
複雑なものなのだということ、経験してみてわかりますね。