「サイコネフロロジー」という
慢性腎臓病患者の「こころ」を扱う学問領域があること
ご存知でしょうか?
サイコネフロロジーとはなにか。
一般社団法人 日本サイコネフロロジー学会のHPには
下記のように記述されています。
サイコネフロロジー(psycho-nephrology)は(中略)CKDの患者さんやご家族の「こころ」を扱う学問領域です。腎臓病学(nephrology)と「こころ」を扱う学問である精神医学(psychiatry)、心理学(psychology)、心身医学(psychosomatic medicine)とがお互いの知恵を出し合いながら、ともに作り上げていきます。
サイコネフロロジーの第一の課題はCKDと腎代替療法が患者さんやご家族の「こころ」にどのような影響を与えるのか、逆に「こころ」の問題はCKDの経過や予後にどのような影響をもたらすのかを明らかにすることにあります。第二の課題は、第一の課題で明らかになったことをもとに、「こころ」の問題への適切なケアを実践的に明らかにすることです。
(引用元:一般社団法人 日本サイコネフロロジー学会)
この「サイコネフロロジー」領域で"名著"と言われている(らしい)ものに
『サイコネフロロジーの臨床―透析患者のこころを受けとめる・支える』
がございます。著者は春木繫一医師
Amazonストアでは、下記のようにご紹介されております。
日本のサイコネフロロジーの草分け、精神科医で透析患者でもある春木繁一先生の論文集。死に直面しながら生を意識する透析患者のこころの痛みにどう向き合えばよいか、否定的に表現される患者の行動をどうやって支えていけばよいかについてまとめた実践の書。
(引用元:Amazon)
恐らくは、医療者向け。
価格も少々お高いですが💦素人の私も買って拝読致しました。
(※届いてビックリ!思ってたよりデカイ!)
その著書の中に
透析患者の心理状態について
彼らのたどる心理的プロセスを可視化した"雛型"のようなものがあります。
末期腎不全⇒(先行的)生体腎移植⇒移植腎廃絶⇒在宅血液透析導入…
私自身も"生きるため"
上記のような道程を辿ってまいりました。
その間、肉体的な疲弊・消耗のみならず
精神的な疲弊・消耗も相当なものでした。
その時々では、自分のことを客観視することは難しく
恐怖や不安の渦に飲み込まれないよう
ただただ、もがくのみ。
しかし
HHD導入9年目となった今は(2021年11月現在)
肉体的・精神的にも多少落ち着いていることもあり
当時を冷静に振り返ることが出来ています。
自身の抱える病気への、恐怖や不安の渦中にいる時は
自己の「心」を客観視することは難しい。
透析患者様の心理状況も同様でしょう。
患者自身の「心」を言語化する、つまり
"自分の立ち位置を可視化"できれば
「自分だけじゃないんだ」
少なくとも、孤独感は軽減されるかな、と。
実際、経験した私だからこそ伝えられることがある…
医療者向け名著『サイコネフロロジーの臨床―透析患者のこころを受けとめる・支える』
同著書内にある「透析患者の心理プロセス(その"雛型")」
ある種の"学術的情報"ではありますが
その"雛型に"
私の経験を照合したものを皆様にご紹介することで
"非医療者"の透析患者の方々が
言語化しにくいご自身の、今の心理状況を可視化する
その一つのキッカケになれば、と思います。
では、始めましょう。
[su_box title="参考文献" style="soft" box_color="#0254ce"]
✅春木繁一著『サイコネフロロジーの臨床―透析患者のこころを受けとめる・支える』
【透析患者の心理】透析患者のたどる心理的プロセスの"雛型"に、自身の経験を照らし合わせてみる
透析患者のたどる心理的プロセス
上記は、『サイコネフロロジーの臨床』にある
「透析患者のたどる心理的プロセス」です。
この心理的プロセスと類似するものとして
エリザベス・キューブラー=ロス氏が提唱した
「死の受容のプロセス(死の受容の五段階)」があります。
エリザベス・キューブラー=ロスの提唱する
心理的プロセス上にある"受容"の概念には
個体としての「死」の意味をも包含します。
受容いかんに関わらず、個体死に至るわけですから。
参考1
エリザベス・キューブラー=ロス著「死ぬ瞬間」
私も実際に読みましたが、正直な感想としては
多くの日本人には感情移入しにくい著作だな、と。
その理由は"「神」の存在"/"「神」の信仰"を前提としているため。
興味のある方は、是非。
参考2
サイコネフロロジーに対して
"サイコオンコロジー"(Psycho oncology)
という学問領域があるらしいが、ここでは割愛します。
興味のあるかたは
一般社団法人 日本サイコオンコロジー学会 参照下さいませ。
エリザベス・キューブラー=ロス氏が提唱した
「死の受容のプロセス(死の受容の五段階)」対し
CKD(慢性腎臓病)患者の場合は
腎機能が廃絶つまり腎臓が「死」に至っても
個体としては生存する、という大きな違いがあります。
"腎「死」に至ってもなお個体として生存する"
つまり、生き続けるという現実が
患者の腎代替療法(透析療法)を受け入れる心的障害となる。
不安や抑鬱といった精神障害を患うことで
患者が積極的に、医療者側の決定に従って
治療を受けることを拒む要因となりうるのです。
こうして見てくると同じ心身医学領域である
"サイコネフロロジー"と"サイコオンコロジー"とでは
大きな違いがあることがわかります。
[su_box title="参考文献" style="soft" box_color="#0254ce"]
✅一般社団法人 日本心身医学会/学会誌『心身医学』(60巻,2号)
「サイコネフロロジーにおける心身医学の役割」大武陽一医師著
[/su_box]
透析患者の精神状況・心理的態度の時期的変化
春木繁一医師は『サイコネフロロジーの臨床』の中で
"透析患者の精神状況・心理的態度の時期的変化"と題し
透析患者の辿る心理プロセスを
第1相(保存期)~第7相(長期透析期)に分類しております。
この各段階に沿って、私自身の当時の状況と照合していこうと思います。
第1相 透析に入る前の尿毒症の時期
私の場合、二つの腎代替療法、つまり
[su_note note_color="#e6ffff"]
- 生体腎移植
- 血液透析
[/su_note]
時間軸をずらして経験しております。したがって
"透析に入る前"という意味では
二つの"第1相"があるわけですね。
- 一つは"透析に入る前"から透析導入"せず"、腎移植へ
- 一つは"透析に入る前"から、実際に透析導入へ
[su_note note_color="#ecefef"]
※私の生体腎移植は「先行的生体腎移植」なので
厳密な意味での"第1相"ではないかもしれませんが…
[/su_note]
腎保存期での生体腎移植(先行的生体腎移植)、つまり
腎機能に多少の余力はあったので
尿毒症症状が顕著に出たという記憶はあまりありません。
その代わり、生体腎移植という
なにやら得体の知れない"相手"に挑んでいく
期待、不安、恐怖、諦め etc
メンタルはグチャグチャだったと思います。
腎移植前の職場は、腎不全で身体が思うように動かない前提で
ありがたいことに、勤務時間も体調優先で流動的に対応してくれていました。
これに対し
血液透析(在宅血液透析)導入前は
生体腎移植手術を受け、状態が落ち着いた後に就活、障害者枠ではありますが
超(自分で言うのも変…)が付くほどのメジャー企業に正社員として雇用され働いていました。
入社当初は問題なく仕事が出来ていたのですが
徐々に体調不良が顕在化、仕事も休みがちになり
周囲との温度差も無意識に"意識"していたのでしょうか
後半は、精神的にキツイ状況が続きました。これが
"尿毒症性精神障害の様相"かどうかはわかりませんが
初めて味わう「喪失感」だったのかもしれません。
通勤途中にパニックに近い症状が表出し、当日欠勤することもしばしば
結局、会社は休職することとなります。と同時に
自身の仕事との関わり合い方を、真剣に考えた時期でもありますね。
片道約1.5時間かけて職場に向かいフルタイム勤務するという仕事の関り合い方から
「自宅で自分のペースで出来る仕事を」という思考に変わっていき、それが後の
行政書士試験合格、行政書士登録(開業)に繋がるわけです。
第2相 透析導入期(1~4週)
[su_box title="補足" style="soft" box_color="#2ffdcd"]
「アンビバレンス」とは…
アンビバレンス(ambivalence)とは、あるひとつの対象に対して、相反するふたつの感情を抱いたり、相反する態度を同時に示す心理状態のこと
(引用元:メンタル・プロ)
[/su_box]
"不均衡症候群"
私はあまり感じませんでした。
尿毒症症状が顕著に出現する前段階で
HD導入できた、ということでしょうか。
腎保存期での生体腎移植、つまり血液透析(HD)の経験はなし。
その"先行的生体腎移植手術"によって(母から)提供された"移植腎の廃絶"
ということで
血液透析に必要なVA(バスキュラーアクセス)造設は初めてとなります。
腎移植を行った病院で入院
VA造設手術後、そのまま同病院内の血液浄化センターで導入透析を行いました。
当然、シャント肢静脈は全く育っていないので、色々問題はありました。
その辺りのことは下記記事内の「緊張感のない臨床工学技士」をご参照下さい。
第3相 回復~安定期(1~3カ月)
VA造設手術含め、入院は約1週間程度。
その間行った血液透析も、3回程度だったでしょうか。
退院後そのまま、在宅血液透析導入トレーニング開始
約2カ月間、クリニックまで片道約1.5h電車で通って
HHDトレーニング兼血液透析を行っていました。
自分でプライミングをし、自己穿刺をし
実際に血液透析を約3時間施行して帰宅する、ということ。
2013年8月から在宅での血液透析を開始。
当初は試運転の意味もあり
透析回数週3.5回(隔日透析) 透析時間5h
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「社会復帰」について…先ほど
「自身の仕事との関わり合い方を、真剣に考えた」
との話をしましたが。
実は
休職の間(※上述した"超が付くほどのメジャー企業に正社員として"籍をおいていた頃)
HHD導入トレーニングをしながら
地元地方自治体の職員採用試験を受けていまして、合格しました。
「自宅で自分のペースで出来る仕事を」というのが、当時の理想ではありましたが
それはあくまで将来的な話で、現実的にはとにかく
「通勤時間を要さない地元企業への再就職」を目論み、勤務先を探していたところ
たまたま公務員採用試験の公募時期と重なり
ダメもとで受けたら受かっちゃった、というのが本音です。
第4相 中間期(4~12カ月)
2013年11/30から
透析回数週4回(月・水・金・土)透析時間4.5h
休職していた会社をこの年末に退職しています。
そして、2014年1月から
(※新卒採用者とは別に、前倒しで)
公務員として社会生活の再スタートを切ることになります。
しかし、その役所勤めも約1年で終わることになるのですが…(詳細後述)
第5相 社会適応期(1~3年)
2014年上旬は、特に透析中の気分不快が多かった。
DWもなかなか定まらず。
当時の気分不快は、特に上半身がムズムズしまして
鬱陶しくて仕方ありませんでした。
5月には透析中、気を失ってしまいました。
9月から金曜・土曜だけだった連日透析を増やし
2日やって一日休む、のスケジュールに。時間は4h。
10月に入ると、透析中の悪寒、発熱が目立つように。
透析後にはかなりの高熱になることも。
血尿も出ました。
透析するたびに、こうも高熱状態が続くと
身体へのダメージ/消耗は、相当なものでした。
抗生剤を服用して症状が落ち着いたことから、主治医の見立てでは
(実質的には機能していない)移植腎が"ある種の"拒絶反応を起こし、炎症
その状態で透析したことで高熱が出たのでは、と。
状態は落ち着きを取り戻したものの
当初思っていたような
通勤時間を要さない場所でのフルタイム勤務をしながら
且つ、在宅で連日血液透析を施行し続けることは
"私には"難しい、と判断
たった1年で退所するに至りました。
役所を辞める時は、もう
「自宅で自分のペースで出来る仕事を」という腹積もりだったので
そのための準備、つまり独立開業系の資格取得へ向けての勉強を始めていました。
"新しい人生設計"を描き始めた時期
と言っても良いかもしれませんね。
独立開業系の資格取得として「行政書士」をターゲットにしつつ
手始めに「宅地建物取引主任者」試験を受験し、合格。
勢いそのままに行政書士試験合格、と行きたかったところですが
流石にそれは考えが甘く、初挑戦は不合格。
しかし
自分の中での方向性が明確なだけに
精神的には安定していたと思います。
第6相 再調整期(3~15年)
ズルズル何年も、資格取得のための勉強をするつもりはないので
次の受験で絶対合格する!
との意気込みで、勉強には取り組みました。
結果、2度目の受験で見事「行政書士」試験合格。
実は、行政書士試験に合格した年に「中小企業診断士」も受験しましたが
残念ながら一次試験不合格(7科目中4科目合格)。
白状しますと…
中小企業診断士試験へ向けた勉強は
行政書士としての第一歩を踏み出せないことへの"エクスキューズ"でした
つまり"チキって"いたわけです。それが
中小企業診断士試験一次試験不合格を受け、気持ちの踏ん切りがつき
正式に、行政書士登録(開業届提出)致しました。その結果
"身分"としては「行政書士」ではありますが、現在の主な仕事は
[su_note note_color="#fcff97"]
「在宅血液透析並びに腎移植に関して、それを経験した患者目線の"ライブ感"ある情報を発信する…」
[/su_note]
というプロジェクト『腎生を善く生きる』の管理運営です。
上記"生きがいの問題"とありますが
これは決して言い過ぎではなく、在宅血液透析を始めてから
今現在が一番「生きがい」を感じ「心身両面」の調整も良好なのではないかと。
その理由はおそらく
[su_note note_color="#fcff97"]
「在宅血液透析並びに腎移植に関して、それを経験した患者目線の"ライブ感"ある情報を発信する…」
[/su_note]
というプロジェクト『腎生を善く生きる』の管理運営という"仕事"に
自分の理念(ポリシー)を体現できている、との実感があるからだと思ってます。
[su_box title="補足" style="soft" box_color="#41ce02"]
ここへ至る状況変化、心情変化については
下記記事に詳しくご紹介しておりますので、ご参照頂ければと思います。
[/su_box]
第7相 長期透析期(15年以降)
私事ですが、2021年6月に
血液透析回数2000回を迎えました。
標準血液透析(週3回/3時間~6時間未満)の患者さんで単純換算すると、血液透析2000回達成には
約14年かかります(2000÷144=13.888…)※144=(週3回×4週)×12カ月
それをHHDを行う私は約8年で達成したことになります。
過去の記事でもご紹介致しましたが
頻回・長時間血液透析に関するエビデンスレベルは低いので
このことが平均余命の観点から良いのか悪いのかは分かりません。
[su_box title="参考" style="soft" box_color="#2facfd"]
日本透析医学会雑誌(52巻9号)
こちらに、下記のような記述はございます。
現状の標準的な血液透析治療は週3回、1回4時間程度の間欠的治療であり、このスケジュールでは多くの症例において腎機能の代行は不完全である。この標準血液透析は患者の生命を維持する最低限の治療と考えるべきで、長期透析患者では種々の透析関連合併症がしばしば発症し、生命予後が不十分となる。
[/su_box]
透析回数や時間に関係なく、合併症が出現する可能性はあると思っていますし
「死」は常に(※24hという意味ではありません)意識はしています。
透析を"延命治療"と公言する方は多い。
"止めれば死ぬ"という意味では間違いではありませんが…
ただ、今は
透析患者全体の内、たった約0.2%しかいない在宅血液透析患者の一人として
その恩恵にあずかれている現状に感謝しながら
"前"を向いて日々の生活を送りたい
との気持ちが強く、後ろ向きな思いはございません。
まとめ
参考文献「サイコネフロロジーにおける心身医学の役割」では
維持透析期の患者の課題を
透析を含む生活に適応し
自分の立場や価値をもう一度作り上げていく
としています。
在宅血液透析9年目(2021年11月現在)
"HHDと共に"という生活スタイルそのものには慣れてきました。
"透析と仕事"との関わり合い方についての紆余曲折は、結果的に
「自分の立場や価値をもう一度作り上げていく」
キッカケになりました。つまり
- 一人の人間として今の自分に何が出来るだろうか?
- 今の自分にしか出来ないことはなんだろうか?
自問自答を繰り返した結果
末期腎不全⇒(先行的)生体腎移植⇒移植腎廃絶⇒在宅血液透析導入…
これら道程を経験したことが
ある種私の"人間としてのオリジナリティ"であることに気づけたのです。
と同時に、その自分が
[su_note note_color="#ffeffd"]
- 現在、在宅血液透析を行っている方
- 在宅血液透析の導入検討している方
- 腎臓移植手術を受けた方
- 腎臓手術を希望されている方
[/su_note]
これら皆様(CKD患者様全般)へむけて
[su_note note_color="#fcff97"]
「在宅血液透析並びに腎移植に関して、それを経験した患者目線の"ライブ感"ある情報を発信する…」
[/su_note]
というプロジェクト『腎生を善く生きる』の管理運営という"仕事"に
"ただ生きる"のではなく
「"善く生きる"価値」を見出すことも出来たわけです。
私の現在の行動の源には
確固たる理念(ポリシー)があります。
~共 生~
現実を受け入れ、
自分としっかり向き合う。
「善く生きる」ことの意味を
問い続ける旅の途中で、
出会うであろう全ての人が、
善く生き、
悔いのない人生を送るための、
一助となる。
この理念が"絵空事"にならないように。
かといって私自身が肉体的・精神的に安定していなくては
皆様へ活きた言葉を発信することは出来ません。
毎日の在宅での血液透析に、嫌気がさすことも多々あります。
そんな弱さも、時には発信してこうとも思っております。
透析は原則、終わりのない戦いです。
一緒に、頑張り過ぎないよう、頑張りましょう!
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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