前回の投稿で
久しぶりに「イギリスへの1カ月短期"語学留学"」を振り返り
ドナーとなってくれた母への感謝と
生体腎移植手術を受けられたことの幸運を
改めてかみしめました。
しかし、同記事を締めた後、同時に
腎移植手術の大変だった頃の思い出も、頭に浮かんできました。
本ブログ立ち上げ当初
腎移植手術を受けた当時、自身で綴っていた日誌を
恥ずかしながらアップしました。
今見返してみて
まだ若かった自分が、当時の思考で自分なりの道を切り開いていこうとする思いが伝わってきて
非常に有意義でした。
当時の日誌に描かれているのは❝当時❞の思い。
現在
"アラフィフ"となり在宅血液透析(HHD)もうすぐ8年目となる今
自分で経験した腎移植手術を、今の言葉で表現することで
また違った❝色合い❞で皆様、特に
現在、腎移植手術を希望されている方々に
「腎移植は素晴らしい、でも大変な面もありますよ!」
と、老婆心ながらお伝えできれば、と思い、今回綴ってみました。
【腎移植の術後】手術終わって万々歳!!とはならない、腎移植後の大変な側面
手術前
腎移植手術を受ける前には、ある程度身体を❝浄化❞する必要があります。
つまり「血液透析」を数回行うわけです。(※患者によるでしょうが)
透析生活から腎移植手術へ移行する患者さんはシャントがあり、そのまま血液透析可能でしょうが
腎保存期での腎移植手術の私はVA(バスキュラーアクセス)がありません。
頸部から脱血するか、上腕部の動脈から脱血するか。
上腕部の動脈穿刺が上手くいかなかったら頸部穿刺もありえたでしょうが
そこはさすが私の主治医、一発で上腕部動脈へ直接穿刺し、そこから脱血
人生初めての「血液透析」を行いました。
上腕部の動脈穿刺は、幸い痛みはないのですが、透析が終了し抜針後の止血作業が大変です。
約30分は受持医の方が圧迫止血を施してくれました。
それでも翌日以降、穿刺した上腕部ほぼ全体が内出血でドス黒くなりました。
見た目のインパクトは大でしたね。
手術直後
全身麻酔から覚醒するも意識朦朧。
それでも、自分の鼻、口、両腕、右側腹部等
全身の至る所に「管」が繋がっている感覚があったこと、今でも覚えています。
それでも鼻、口の「管」は翌日には外されるので、まだいい。
移植した腎臓を❝循環❞させるため(※適切な表現じゃないかもしれません、ご了承下さい。)
両腕から大量の生理食塩水(※これは私の憶測…)が流し込まれます。
尿道口から膀胱へ直接管が通されているので、尿意はあまり感じないのですが
新たな腎臓で尿が❝ジャンジャン❞作られ、尿パックから尿が溢れるほど。
それだけの水量を静脈内に注入しているということ。しかし
水圧で血管から生食が漏れてしまうのか(正確な医学的原因は不明ですが)、腕が腫れて痛む。
痛みを訴え、穿刺場所を変えるも、あまり痛みは変わらない。
また
術後数日間は、腎臓を移植した右腹部に負荷をかけないよう
上体は仰向け、右足特に股関節を動かすことが許されない。
両腕は痛い、寝返りはうてない、足は曲げられない…
とにかく背中・腰が痛み
看護師さんが背中に枕を潜り込ませて隙間を作ってくれましたが
なかなか寝れない日が続きました。
急性拒絶反応
一般に、拒絶反応の症状としては
参考
- 尿量の減少
- 移植腎の痛み
- 発熱
が挙げられます。
私の場合、痛みをともなう症状はなし。
微妙な熱が続き、採血でCr値が上昇傾向にあったため
腎生検を行い、結果、拒絶反応が認められました。
治療はいわゆる「パルス療法」、投与した薬剤は忘れました。
幸い、気分不快のような副作用はありませんでしたが
結果的には、この時期の拒絶反応による移植腎へのダメージが
最後まで尾を引いたようです。(主治医談)
サイトメガロウイルス感染症
急性拒絶反応が治まったと思ったら
その流れで「サイトメガロウイルス感染症」を発症。
拒絶反応同様、こちらも微妙な熱が続き
血液検査の結果「陽性」と判明。
抗ウイルス薬を数日間投与。
完全なる「陰性」になるまでは、結構時間を費やしました。
「急性拒絶反応」と「サイトメガロウイルス感染症」の連続発症。
合わせて約1カ月半くらいは入院したと記憶してます。
(補足)
同入院時「歯痛」にも悩まされました。
急激な免疫力の低下で、サイトメガロウイルス同様
体内の常在菌が❝ムクムク❞を活動し、悪さをする。
術前治療済みの歯ですが、歯根部分の常在菌が悪さをし
歯槽骨がすっかりやられてしまいました。
痛みが強いので、病院内の歯科へ行くも
そこの医師が、ま~酷い!!
麻酔打っても効かず、更に麻酔を打つ、それでも効かず。それでも歯を抜こうとする始末。
散々痛めつけ、歯を破壊するだけ破壊して
「もうやめて下さい・・・」と頭を下げ治療拒否。
結局その歯は退院後、馴染みの歯科医に治してもらいました。
慢性拒絶反応
慢性拒絶反応と認められると、その腎機能の低下は止められません(との私の認識)。
結果を聞いたときは少なからずショックではありましたが
主治医は、その後も色々手を尽くしてくれました。
中でも大変だったのは「血漿交換」。
血液透析と同様、大量の脱血を必要としますが
前述したように、当時の私はVAが無いので
頸部からカテーテルを挿入し、そこから脱血・返血をすることに。
局部麻酔しているとはいえ、頸部からのカテーテル挿入は非常にしんどい。
挿入完了までの時間がとても長く感じられ、終始"油汗"がでる状況。
「血漿交換」は3日程やりましたでしょうか。
脱血され血球と分けられた自身の血漿部分は全廃され、その代わりに血液製剤が注入される。
自分自身の"血液"ではないので、アレルギー反応が顕著に出ました。
血液浄化室から病室に戻った途端、真っ赤な発疹が全身にバーッと出るので
すぐさま抗アレルギー薬を投与し、都度対処してもらいました。
透析導入後
移植腎がほとんど機能しなくなり
残念ながら血液透析導入となりました。
血液透析導入時は、まだ若干尿は出ていましたが
導入から約半年過ぎた辺りで、右腹部(移植腎の場所)に軽い違和感を感じ
突然血尿が出ました。
そして、厄介だったのが
透析後、必ず毎回39℃近い高熱が出ること。(※もちろん在宅血液透析です)
夜中うなされるのですが
しかし、朝にはその高熱は下がるのです。
この状態が、約1週間は続いたでしょうかね。
こう高熱が続くと、身体ははかなり消耗しました。
結局、抗生剤を服用することで血尿も高熱も治まりましたが
それ以降、尿は全く出なくなりました。
まとめ
移植医療を取り上げたニュースやドラマを見ると
移植経験者としては、いつも違和感を感じます。それは
❝移植「手術」が終わって万々歳❞
といった取り上げ方をする点。
あくまで「手術」が終わっただけであって
大変なのはこれからなのに・・・と思う。
透析医療がどんなに進歩しても
「腎臓」そのものと同じ機能は果たせない、と聞きます。
つまり、透析にはどうしても限界がある、と。
その点からして、腎移植医療が素晴らしいことは承知してはいるのですが
一度経験しているだけに、腎移植の「良さ」だけでなく
「難しさ」「大変さ」
にも意識が向かうんですね。
前回の、母をドナーとした生体腎移植手術は
やって良かった!
このことは間違いない、心の底からそう思います。
しかし、もし次の腎移植の機会があるとすれば
それはおそらく献腎移植。
脳死を巡る移植医療については、依然賛否両論があるといいます。
現状の献腎移植待機年数では、私の場合はまだまだ先の話。
今後、時流がどう変わっていくのかは分かりません。
どのような形であれ、私を含めた献腎移植待機者にとって
好ましい社会の仕組みとなることを、切に望みます。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。