最近のVTubeでは、立て続けに
「腎移植」関連のコンテンツをアップロードしてます。
これは"意図的"。
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生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
[/su_note]
な今の世相に
焼け石に水と知りながら
なんとか一矢報いたい、との思いからです。
「腎移植」とくに「生体腎移植」がとかく"美談"に昇華する世相については
ずっと以前から"思うところ"がありました。
それが、自身で情報発信活動をすることになり
今まで以上に"美談"を目にする機会が増えた。
リサーチ目的で
自身で利用する情報プラットフォーム内(Twitter、YouTube等)を"回遊"しますから。
そもそも私が、「生体腎移植」関連情報にアンバランスを感じるのは
私が、「移植腎廃絶患者」だからかと。世は(SNS界隈は)
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生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
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だから。
私見ですが
前者の方々(生体腎移植「明」情報の発信者)は
情報のアンバランスに対し、あまり感度は良くないかもしれない。
なぜなら、周囲は自分を「承認」してくれる"同志"に溢れているから。
生体腎移植の"キラキラ"した一面の情報量が圧倒する環境(SNS環境)下で
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生体腎移植の「明」と「暗」、情報のアンバランスへ警鐘を鳴らす
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ここに至るには、かなりの心的葛藤がありました。
理由はシンプル
世の中、特にSNS界隈で(肌感覚で感じる)数の上で圧倒的優勢な立場の
生体腎移植「明」を満喫する患者様方をご不快にさせるのではないか
という懸念。
移植腎廃絶患者は、言うなれば
キラキラしたフェーズから、残念ながら悲しい結末を迎えてしまった患者
ということ。
その「移植腎廃絶患者の立場」から物申すということは、発言のベースに
「生体腎移植、キラキラしたことばかりじゃないよ」
との意図は、当然にある。
直接的な表現を使わないにように配慮したところで
それを見聞きした"幸せの絶頂"にいる患者様方、とりわけ
ご自身でキラキラした今をSNS等で表現している患者様方には
「は?!俺たち(私たち)のこと、ディスってる?!」
と思われても、仕方がない。
私は、揉め事が大嫌い💦
ブロジェクト『腎生を善く生きる』で発信する内容は
自身の経験を、ただひたすらに
一方通行に発信する、つまり
異論反論objection
が生じない「球」を投げるよう心がけています。
だから、私は悩んだ…
「発信すべきか…」
「移植腎廃絶患者の思い」を表出するまでの葛藤と、結果"炎上承知"で表出した理由
理由(気持ちの落としどころ)は、三つ。
理由:1
一つは…
チャンネル登録者数100人も満たない(2022年7月19日現在)雑魚が
何か言ったところで、さざ波すら立たんだろう、ということ。
一方通行を信条として情報発信しているので
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生体腎移植の「明」と「暗」、情報のアンバランスへ警鐘を鳴らす
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などと、形上、大見えを切っているが、実利は
心穏やかならぬ自分を自身で癒すことくらいかなと。
理由:2
二つ目は…さきほど
生体腎移植「明」を満喫する患者様方をご不快にさせるのではないか
と申し上げましたが、ぶっちゃけ
生体腎移植「明」情報、圧倒的有利な世相が、既に
移植腎廃絶患者を不快にさせているので。
(少なくとも、私の心は穏やかではない)
[su_box title="注意!!" style="soft" box_color="#fe6862"]
生体腎移植キラキラ情報を発信している方々に他意はないこと
そこは、十二分に理解しております。
ただ、それらの情報が結果的に心穏やかならぬ状態にしている。
とはいえ、他意がない以上、問題はこちらサイド(情報の受け手)にあるので
お気になさらないように。
[/su_box]
チャンネル登録者数100人も満たない(2022年7月19日現在)雑魚が
何か言ったところで、さざ波すら立たんだろう。
ならば
生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が圧倒的優勢な状況下で
"弱者"が、一言二言(三言)言っても、許して下さい
大目に見て下さいよ、ということ。
理由:3
三つ目は…(大袈裟に言えば/格好良い言えば)使命感。
プロジェクト『腎生を善く生きる』と銘打って
[su_note note_color="#d6feff" text_color="#000000"]
「在宅血液透析及び腎移植に関して、それを経験した患者目線の〝ライブ感〟ある情報を発信する…」
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ことを、ある意味"生業"としている者としての、使命感。
誰も、そんなもん望んでないかもしれません、したがって
私が勝手に抱く「使命感」になりますね💦
なぜ
生体腎移植の「明」「暗」、情報のアンバランス
が生じるか考えた時、原因の一つに
移植腎が廃絶してしまった患者、つまり
生体腎移植「暗」のフェーズに至ってしまった患者は
生命を維持するために、当然"次のフェーズ"に移ってしまっている
という事実が挙げられるのではないでしょうか。
"次のフェーズ"というのは、つまり、生命維持するための
「(腎移植以外の)他の腎代替療法」を選択し施行しているということ。
恐らく大半は、通院血液透析か(腹膜透析の患者様もいるでしょうが)。
"次のフェーズ"へ移った患者、つまり
「通院血液透析患者」となってしまった方々の「今」というのを
彼等自身が「今」を表現する情報プラットフォーム、例えば
Twitter等のSNSで表明するとなると
「今日の透析は"こう"でした」という話にならざる得ない(と思うんですね)。
"次のフェーズ"へ移った、ということは
「生体腎移植手術をした」という事実は、もう「過去」の事。
日々の透析は辛く苦しいでしょう(※上手く付き合ってる方もいらっしゃるでしょうが)。
週3回、クリニックへ通い、3時間半から4時間(長時間透析の方もいらっしゃるでしょうが)
時間と身体を拘束される。
それでいて
生命を維持する最低限の治療であり、
そのため透析関連合併症が発生し生命予後が不十分
(引用元:一般社団法人 日本透析医学会「維持血液透析ガイドライン:血液透析処方」)
とされている「週3回、3時間~6時間未満の"標準血液透析"」を施行する患者様は
様々な合併症等も出現している可能性はあろうかと。
「透析生活が辛く苦しい」
そんな思いをされてる患者様方の中には
「(私と)同じように辛く苦しい思いをされてる透析患者様方と"繋がり"を持ちたい!」
との理由で、積極的にSNSを使って、自分の「今」を発信し
"同志"とのコネクションを築いている患者様も多いのだと思います。
つまりは、やはり
「生体腎移植手術をした」という事実は「過去」のものとなっていて
「こういう風に移植腎廃絶したんですよ」みたいな
「過去」のストーリーをわざわざ引っ張り出して
「今」を表現するSNS等で話す方というのは、そうはいないじゃないかと。
生体腎移植「暗」のフェーズに、残念ながら陥ってしまった患者様は
「今」を表現する情報プラットフォームの場では
自身の「暗」については、閉口せざるを得ない。
その結果として、今の世相が
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生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
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になっている一因でもあるのかな、と。
そう考えた時に
微力だけれども、本当に微力ですが
自分が今、プロジェクト『腎生を善く生きる』と銘打って
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「在宅血液透析及び腎移植に関して、それを経験した患者目線の〝ライブ感〟ある情報を発信する…」
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ことを、ある意味"生業"としている者として
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生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
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な今の世相に、一矢報いることはできないか、と思うわけです。
「情報発信活動を生業としている」なんて、偉そうなこと言ってますが
マネタイズなんかほぼできていません、残念ながら…
それで食っていく、みたいなことは全くできてはいないんですが
ただ、私なりに色々思うところがあって
『腎生を善く生きる』というプロジェクトを自分の中で立ち上げて、今
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「在宅血液透析及び腎移植に関して、それを経験した患者目線の〝ライブ感〟ある情報を発信する…」
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活動をしております。
移植腎が廃絶した私の「今」"一丁目一番地"は「在宅血液透析」患者である、ということ。
私の「今」を伝える
〝ライブ感〟生っぽさのある状態で「今」つまり
在宅血液透析患者としての「今」を伝えるのは
活動の中の、一つのエレメントとして、当然にある。
一方で、活動の中には
「自分の"過去"がこうでした」
というコンテンツも、当然にある。つまり
「今」"一丁目一番地"が「在宅血液透析」患者である私が
「今」を表現する情報プラットフォームの場で
「過去」を表現することは、大いに可能なわけです。
私が表現する「過去」つまり私にとっての「腎移植期」の情報に
- 腎移植って素晴らしい
- ドナーの愛を感じました
みたいな、そんな話は必要ないですよね。
私が話す必要もなくて、巷に溢れてるので。
実際に生体腎移植はしたけれども、残念ながら
- "こういう"ケースもあった
- "こういう"難しい部分もあった
※もちろん"キラキラ"した時期もあった、事実としてあるので、それも伝えていきたい。
ただ、残念ながら
- "こういう"経緯で移植腎機能が低下し
- 最終的には移植腎廃絶に至ってしまった
という、在宅血液透析を導入する「前」までの
ある意味、長く苦しい「腎移植期」を伝えられるわけです。
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生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
[/su_note]
な今の世相においては
"焼け石に水"ではあることは重々承知をしています。
しかし、発言重複しますが…
多くの、私と同じように移植腎が廃絶してしまった患者様は
生命を維持するため、"次のフェーズ"に入っている。
その皆様が
「今」を発信するSNSで「過去」を遡って伝える機会が
そう多くないのであれば
私が、なんとか一矢報いようじゃないか、と。
(誰も望んでないかもしれませんが💦)
私が生体腎移植を"移植腎廃絶した立場"から、つまり
生体腎移植「暗」の立場から発言する
その内容の根底には、どうしても
「腎移植は素晴らしい、でも大変な面もありますよ!」
とのニュアンスは含まれる。
それらを、"聞く人が聞けば"、つまり
現在、生体腎移植を受けて、レシピエント/ドナー共に体調良好
- 生体腎移植、やってよかった
- ドナーの愛に感謝
生体腎移植の「明」を満喫している患者様方はもちろん
生体腎移植の「明」を、患者様ご自身で情報発信をされている患者様方
が聞くと
「はっ?!ちょっと喧嘩売ってんの?!」
と思われるかもしれません。
が、そんな他意はない、"喧嘩売って"なんかいないです。
生体腎移植「明」情報、圧倒的有利な世相が、既に
移植腎廃絶患者を不快にさせているので。
(少なくとも、私の心は穏やかではない)
[su_box title="注意!!" style="soft" box_color="#fe6862"]
生体腎移植キラキラ情報を発信している方々に他意はないこと
そこは、十二分に理解しております。
ただ、それらの情報が結果的に心穏やかならぬ状態にしている。
とはいえ、他意がない以上、問題はこちらサイド(情報の受け手)にあるので
お気になさらないように。
[/su_box]
先述したように、皆様(生体腎移植「明」のフェーズにいらっしゃる患者様方)も
「生体腎移植「暗」の奴らに"喧嘩打ってやろう"」
なんて他意、当然無いですよね、それと同じとお考えいただければ。
「生体腎移植手術経験者」と一括りにされても
「今」いる立ち位置、立場が異なってくるのは、必然。
それぞれの「今」の立場で抱く価値観が、それぞれで異なって当然。
私は、幸か不幸か
生体腎移植「明」「暗」を両方経験してしまった。
どちらの立場の価値観も、聞く耳は持っているつもり。
※「同意」出来るか否かの問題は、別ですが…
したがって、情報発信するコンテンツ作成の過程で
重心を「明」「暗」どちらにも移動することができると思ってます。
ただ、残念ながら、今の世相が
[su_note note_color="#fefb96" text_color="#000000"]
生体腎移植「明」の情報及び情報発信者の勢力が
生体腎移植「暗」の情報及び情報発信者に対して圧倒的優勢
[/su_note]
に、私には見えてしまっているので
生体腎移植「暗」の立場に肩入れしてしまう現状だということ
その点、何卒ご理解を賜りたい。
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