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在宅血液透析 穿刺/抜針/止血

【在宅透析と心理】在宅透析の"自己抜針"と施設透析の"他者抜針"とでは、やっぱり患者心理は違う?

brain, mental,

先日、下記ツイートをしました。

以前、"自己抜針"と"自己止血"にフォーカスしたブログ記事も書いています。

当該記事は

在宅血液透析の手技の中で主役級である"自己穿刺"の陰に隠れがちな

「自己抜針「自己止血」をフィーチャー、特にその

"手技"にフォーカスしたものでした。

冒頭ご紹介したように、おもわずツイートしたくなるほどに

在宅血液透析における「自己抜針」のフェーズは、毎回、独特な感情に包まれます。

このことは、透析終了後、穿刺針を

"抜いてもらう"施設血液透析患者さんには、おそらくない心理状況だと推測してます。

今回は、イチ在宅血液透析患者の独断と偏見で

自己抜針の際に生じる患者心理を描写(言語化)してみようという"試み"。

"試み"なので、最適な言葉・表現が見つからずに終わる可能性もあること

ご了承下さいませ。

【在宅透析と心理】在宅透析の"自己抜針"と施設透析の"他者抜針"、やっぱり患者心理は違う

"腕に刺さった針が抜ける"という感覚

透析開始前の穿刺、これは患者誰しもが痛みを感じる

そこに「施設透析」も「在宅透析」も違いはない。

ただ、あえて違いがあるとすれば、ペンレステープ又はクリームを使用するか否か。

その点、私はペンレスは使用"しない派"。

その理由は過去ブログに述べましたが👇

"傷みの「効用」を大切にしたい"、つまり

施設透析での"他者穿刺"と違い、在宅血液透析での"自己穿刺"においては

穿刺時の痛みを自ら感じることで

その痛みを確かめながら、正しい所に穿刺する必要があるからです。

一方、針が腕から"抜ける(抜けた)"時の、透析患者の心理状況。

施設標準血液透析の患者さんなら約4時間

施設深夜透析(オーバーナイト透析)なら約8時間

自身の身体と血液透析機器が、透析針を介して繋がった状態

言い換えれば"拘束"された状態からの「解放感」は、あるでしょう。

透析中に血管痛がある患者さんは、その痛みからの「解放」もある。

  • 拘束からの解放
  • 痛みからの解放

透析時間の長さと「解放感」の"効用"に、どれほどの差があるのかは不明。

単純に考えれば

「透析時間長いほうが、解放感は"ひとしお"」となるかもしれません。

私の場合、透析時間そのものは3時間と、大多数の血液透析患者さんよりは短時間

ただ、「針の"抜き刺し"」が毎日繰り返されていますので

「透析時間短いから、楽」

ということは、正直ありません。

それどころか

"他者抜針"を施されている施設血液透析患者さんには、おそらく無いであろう

奇妙で不可思議な感覚、があるのです。

それを、次から言語化していこうと思います。

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自己抜針という手技を言語化(復習)

個人的見解として"自己抜針"は、手技そのものが非常にテクニカルで

患者自身にある程度手先の「巧緻性」が求められる

と、思っております。

その理由は、自己穿刺同様、両手が使えないこと。

施設透析の抜針・止血の場合、スタッフは基本

一方の手で針を抜き、針を抜いた刹那

もう一方の手(指)で穿刺痕に圧迫止血を施す。

しかし、HHD患者は

この一連の動作を、片手で行わなければならないのです。

「ただ針を抜くだけ」

といった単純な手技ではないと、個人的には思うのです。

具体的な手技については、下記ブログをご参照頂ければ幸いなのですが👇

片手で穿刺針を抜き、抜いた刹那、同様片手で(親指)圧迫止血する

この一連の手技動作をスムーズに行う必要があります。

片手といえど、真っ直ぐ針を抜けなければ流石に痛みは出るでしょうし

圧迫止血のタイミングを逸すれば、"ドバドバ"出血のリスクもある。

こうしたネガティブな要因を頭に入れながら

HHD患者は"自己抜針"に向かうわけです。

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自己抜針における患者心理の変遷

第一段階

透析予定時間を終え、終了のブザーが鳴る

そこはやはり、少しばかりの解放感は、あります。

ただ、仕事はまだまだ残ってます。

まずは返血(※本旨とは外れますが、流れだけ軽く)

リクライニングチェア、フルフラット(傾斜角30度位?)仰臥位状態から

ゆっくり背もたれを起こしていきます。

気分不快が強く出ている場合は、仰臥位状態で返血手技を行うこともあります。

返血終了後、バイタルチェック

問題が無ければ、いよいよ針を抜きます。

と、その前に、まず

長めの血液回路を束ねるために使用していたテープを、随時剥がしていきます。

(注:この時点では、まだクランピングチューブに貼ったテープは剥がしません!)

この段階

気分不快の有る無しで、メンタル状況が違います。

たかがテープを剥がす、しかもクランピングチューブ周囲のテープ"じゃない"場所ではありますが

気分不快が強いと、その作業すらしんどく感じることもあり

「誰かやって…」と思うことも、ごくたまにあります。

が、殆どの時は"自己抜針"を行う前の、気持ちのウォームアップといった意味合いがあるかなと。

あくまでウォームアップ、あまり緊張感はありません。

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第二段階

私の場合、「返血側穿刺部位」から針を抜きます。

透析中の脱針防止のため

クランピングチューブへのテープ貼付は、"巻き付けるように"貼っているので

それを剥がすには注意が必要です。

無理やり力任せに剥がそうとすると、意図しないタイミングで針が抜ける可能性も秘めています。

HHD導入8年目、そこまで大胆な手技はしませんが

一つ注意する点が。それは

クランピングチューブと接続している「血液回路」が動いてしまわないようにする、ということ。

テープが全て剝がれた瞬間に「血液回路」がシャント肢から"こぼれ落ちる"ように動いてしまうと

これまた最悪、意図しないタイミングで針が抜け、大量出血のリスクがあります。

慎重に、慎重に

この「慎重にクランピングチューブに巻き付いたテープを剥がす」手技も

当然ながら、片手で行わなければなりません。

クランピングチューブが抜けないように、親指で押さえながらのテープ剥がし

神経遣います。

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第三段階

いよいよ針を抜きます。

「自己穿刺」関連のブログで私がよく使う表現で

sadisticな自分とmasochisticな自分とが、脳内でせめぎあいを展開する

というのがあります。

自己穿刺同様、自己抜針も

「能動的行為」と「受動的行為」とが同時に行われることに変わりはない。

もちろん"痛み"の程度は、自己穿刺には及びませんが

針を抜く時も、痛みが生じる場合はあります。

自己穿刺時に痛みの程度が高かった時、そういう時は往々にして

透析中"血管痛"に悩まされることが多い。その場合、殆どの場合

抜針は痛い!

したがって"自己抜針"においても、患者の心理状況としては

sadisticな自分とmasochisticな自分とが、脳内でせめぎあいを展開する

わけです。

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第四段階

腕から(血管から)針が抜けた瞬間。

冒頭にご紹介したツイートにあるように、少々独特な感情に包まれます。

肉体的精神的苦痛から"解放"されたという感覚があることは、間違いないのですが

それだけではないように、思います。

毎回、針が抜けた刹那、思わず漏れ出る「あ゛~」「うぅ~」という、何とも言えない声。

その時の気持ちを表現する適切な言葉が、見当たりませんが…

敢えてこの時点でねん出すると

「自己達成感」

とでも言いましょうか。

ただ、この「自己達成感」単体の感情が瞬間湧き出るわけでなく

  • 拘束からの解放
  • 痛みからの解放
  • HHD患者固有の「自己達成感」

これらの感情が混在した結果が

「あ゛~」「うぅ~」という、何とも言えない声として表出するのではないでしょうか。

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まとめ

複数の感情が入り混じった結果の

「あ゛~」「うぅ~」という声。

これ、決まって

"返血側穿刺部位"の抜針時"のみ"で発せられるんですね。

「拘束からの解放」という点でいえば、もう一方の

"脱血側穿刺部位"の抜針が完了して初めて、味わえそうなものですが…

数値で表すのは難しいのですが、"返血側穿刺部位"の抜針を終えた時点で

80%は、私の中で

「今日の透析、終わった~!!」

となっているようです。

自分で申し上げるのは、少々おこがましいですが…

世の中、「自己穿刺」に関する記述は他にあれど

「自己抜針」に関する記述、それも当該手技の瞬間瞬間の

患者心理にフォーカスした記述は、あまりないんじゃないでしょうかね。

したがって、このテーマについては

時間をおき、自分の中のエビデンスをもっと収集してから

また記事にしてみたいと思います。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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