元来「(Twitterの)"あの"世界観が、嫌い」ながらも
「情報発信活動」にはSNS利用は必須、"背に腹は代えられない"との思いで
渋々利用を開始したTwitter。
利用開始から2年強経過した2022年9月から
Twitterから"距離をおいている"私。
理由は
「Twitterは、所詮"政治"だな…」
ということを、個人的尺度で悟ったから。
この辺りの話は、下記過去ブログご参照いただきたいのですが👇
【Twitterの世界観】の中には「Twitterは、所詮"政治"だな…」以外にも
"私には"違和感しかいない要素は、たくさんある。
その一つが
当事者及び専門家以外の人間が、さながら
"新宿の母"ばりに、皆に講釈をたれている実状。
答える側も答える側だが、私が嫌気がさすのは
「聞く側も聞く側だな」
ということ。
「なぜ、自分で調べようとせず、安易に人に聞く!?」
もう随分前から
知らないことがあったら、"グルれ"ば、大抵の答えは見つかる世の中だ。
それをせず(※ご本人的には「調べ尽くした」のかもしれないが…)安易に人に聞いてしまう姿勢。
安易に人に聞けること"こそ"、Twitterの妙ともいえるが…
ホリエモンこと堀江貴文氏が、自身のYouTube動画内で、こんなことを言っていた。
(4:38~)
本を読める人と、読めない人っていて
ネットは(本を)読めない人もたくさん見てる。
(そこに何が書いてあるか)読めない(※理解できない)、だけど文字は読める。
だけど、どうやら"話言葉"だと、わかるらしい。
話言葉だと頭に入ってくるけど、文字だと(※文章だと)入ってこないらしい。
(引用元:読解力の低下と批判文化で「表現の自由」が失われつつある?【林真理子×堀江貴文】)
「在宅血液透析」に関する疑問があれば
とっつきにくい専門書や専門文献を手に取らずとも
「在宅血液透析」扱う医療機関HPを、しらみつぶしに読めば、だいたいわかる(はず)。
「在宅血液透析」の"生の声"を聞きたければ(知りたければ)
手前味噌だが、私のような現役の在宅血液透析患者の発信する情報に、目を通せばよい。
現状、絶対的患者数の少ない在宅血液透析の当事者としての情報は希少だが
それでも、どうにか能動的に検索すれば、"ヒット"はする。
これらプロセスを割愛して、気楽に
「○○って、どうですか~?」
とすることが許されるのが、Twitterの世界。
「使用上の注意」を守れば、誰でも気楽に発信できる
これが、Twitterが多くの人に"愛される"理由の一つ、ともいえるか。
「聞く側も聞く側だな」
一方で、やはり個人的に気になるのは
「答える側も答える側だな」
ということ。
「聞かれたから、答えた」まあ、そうでしょう。
聞く側/答える側、双方"専門外"の者同士交わされるツイートのラリー。
そして最後、聞く側は一定の満足感を得て、Twitterを後にするのでした…
「困っている患者の一助になりたい」
その姿勢、全く頭が下がります。
しかし、ご自身の"専門外"の領域に関してまでも
「聞かれたから、答えた」との行為は
"業際問題"の観点から、如何なものか?と。
ことが医療情報なら、尚更。
とはいえ、質問者がご満足したわけなので
「困っている患者の一助になりたい」者とが
win-winの関係で事が済めば、それで良いということか。
そのやりとりに違和感を覚えるのは
現役の在宅血液透析患者の1人である、私だけ??
堀江氏の言う、文章の読解力はないが「話言葉」なら頭に入る人たちが
気楽に手軽に発信が出来るTwitter。
そんな発信者に、これまた気楽に手軽に
自身の"専門領域"問わず発信する(答える)ことが許容されるTwitter。
Twitter界隈に蔓延る、上述したようなタイプの人たちに共通しているのは
- 「かまって欲しい!」
- 「かまってあげたい!」
物事の本質や、情報の正確性は二の次(あるにこしたことはないだろうが…)。
「かまって欲しい!」方のツイートに
「かまってあげたい!」方が、それに応える。
結果、win-winの関係性が生まれる世界、それがTwitterの世界観。
こりゃ、俺が"生きてく"のは、無理ですわ💦
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