前回に引き続き、在宅透析8年目の私が、
2002年の自身の生体腎移植手術を、当時の日記を通して、振り返ります。
理由については、
在宅透析患者が、過去の腎臓移植手術を振り返る(エピソード0)
をご参照下さい。
今回は、手術後2日目から、ドナーである母退院まで。
切りのいいところまで一気に蔵出ししてますので、 飽きたら、読み飛ばして下さい 。
【腎移植患者の日記】腎臓移植手術を振り返る(手術後2日目~)
当日より数え2日目。
酸素マスク、鼻の管、右上腕部から入り心臓近くまで伸びて入ってた細い管、 動脈圧を直接測るために右手首に埋め込まれていたピン2~3本が外された(のまでは覚えてる)。
右頚部に違和感を感じたが、手術中にその部分から胃のほうへ管が通っていたそうな。
意識ははっきりしているが、両腕に何本も刺さっているものが、一体何なのかは、その時点では良く分からなかったと思う。
レントゲン台が病室へ運び込まれ、移植腎を撮影。腰下にボード一枚入れるのに苦労。
一方お袋の状態は最悪。
おなかに空気を送り込み膨らませて行う腹腔鏡手術の影響で、吐き気・頭痛・高熱がひどい。痰も出るも吐き出す力がなく、ただ苦しむだけの状態。
にも関わらず、車椅子に乗って俺の病室へ顔を見せに来た。長い廊下を経て(その間、あまりに症状が酷く一度は引き返したらしい)部屋に居た時間たった約10秒。
お互い手を伸ばし軽く触れた後、そのお袋の姿は小さく、比較的気分は良好な俺に比べ気の毒に思ったが、それ以上に、そんな状態でも顔を見せに来てくれたお袋の気持ちが嬉しかった。
2002年12月某日
移植腎の血流状態を撮影するため、病室を出ることに。
通常その時点では、ストレッチャーに乗せられていくのだが、実は午前中、痛みがそれほど気にはならないと申し出て、背中に刺さっていた硬膜外麻酔用の針を抜いて、「痛みは大丈夫でしょう」と自身を鼓舞し、車椅子に乗っていくことに。
検査室まで車椅子を押してくれたスタッフ(看護師ではない)の"運転"。スピード出し過ぎ!!移植手術直後の患者への配慮、もう少しお願いしますよ・・・。
撮影台へ乗るためには3段の階段がある。車椅子から移動するのに当然人の手を借りてやってる状態で、それはキツイものがあった。
両腕から大量の点滴を投与されてることで、腕がパンパンに浮腫んでくる。食事も一苦労だ。
点滴大量投与は腕への負担も大きく、漏れたり、その水圧から痛みが生じる。
一度は左腕のみになった点滴も、その痛みにより点滴一本を右腕へ。
その後すぐ左腕のもう一本も痛くなり、結果そっくり今度は右腕へ移行。
これじゃ寝れません。
2002年12月某日
"怪我の功名 "か、
昨晩から今日早朝にかけて、点滴が右腕一本化されたことで、ようやく携帯メールが行えるようになる。
2002年12月某日
免疫抑制剤の中でも一番強く、手術中とあと1回しか打たないという「シュミレクト(新薬)」を投与。
この影響で、みんなとの接触が思うようにはいかなかくなった。
2002年12月某日
昨晩も引き続き最悪の夜。眠りたいのに身体が痛くポジションが定まらず、“悶え苦しむ”。
夕方、◎◎(従妹)が来てくれ、背中と頸をマッサージしてもらう。
傷の治り具合と合わせ、この晩は、術後初めての快眠となった。
二本あったドレーンが一本に。
2002年12月某日
やっと「泌尿器」の管が抜けた。これで後は患部ドレーン一本残すのみ。
T字帯・浴衣とも卒業。パジャマ姿となり、自分で歩ける喜び、自分で取りたい物を取れる喜び、自分で物を置きたいところへ置ける喜びを噛締めた。
身体がある程度自由になったことで、パソコンも使えるようになる。
夜殆ど目が冴えてしまっていて寝れなかったのだが、体位に苦しむことない、こんな快適な「不眠症」は初めて。
お袋の方は、水曜日に抜糸、木曜日に退院予定なのだそうだが、左大腿側部麻痺の原因がまだはっきりしない 。
夕方には、婆ちゃんと電話で話す。お袋と自分、二人の声を聞いて、少しは安心してくれたことと思う。
現段階が一番免疫力が低いらしい。ただ、「現時点での自己免疫力は何%?」という正確な数値は、判らないのだそうだ。
骨の心配は将来的な話。
ネオーラルは少ない方がよいとの見方も、最近出てきているという。
退院時頃から、ステロイド性肥満に注意(高脂血しょう等の懸念)。
2002年12月某日
午前中は、免疫抑制剤「ネオーラル」の血中濃度を調べるため、朝から1時間毎計7回の採血を行う。
午後には一人で髪を洗い、久々に髭もそった。
10時頃から姉が来て、手術当日の親族の「裏舞台」を聞いた。
夜になり〇〇先生が来られ、日中の血中濃度検査結果、非常に吸収力がいいので、「ネオーラル」580㎎から300㎎になる旨を伝えられた。
ただ、これは日々変動する可能性のある難しい薬なので、今後も1週間に1度くらいの割合で検査していくという。
患部ドレーンから出ている液体成分の結果、尿漏れではなくリンパ液だとのことで、明日ドレーンが外される。
あと、以前より「喉ち〇こ」がなんだが伸びてる気がし、唾を飲み込むときに、ちょっと引っかかる旨を尋ねた。手術中に管が入っていた関係だとのコトで一安心。
今日抜歯(おなかのホッチキス抜き)を終えたお袋は、明日退院です。
2002年12月某日
本日午後、無事母退院。とりあえず美味しいものでも食べてくださいよ。戦いはまだまだこれから。
替わって、それまで母がいた個室に本日移る。感染症防止には絶対個室は譲れない!と個人的には思った。
病院サイドとしては「大部屋可能」な状態と判断し、通常は4人部屋に案内するのだが、今の免疫力のことを考えると、大部屋はあまりに無防備過ぎる。
当初、今日最後のドレーンが抜かれるはずであったが、昨日の液量が多かったことで、再度成分検査及び経過観察となる。
午後になり、尿漏れはなく全てリンパ液と判明。圧を抜いた状態で一晩様子を見て、明日取れるとのコト。
2002年12月某日
補足
「入院日記」を再開したのは、これを見ると術後7日目ですね。
手術後数日間は、肉体的精神的に余裕がなく、日に日に変わる状況を正確に把握出来ていたのか。
さらにそれを後から思い出しながら書いているので、
情報、特に治療工程に出てくる用語については、見る人が見たら「ツッコミ」たくなるでしょうが・・・
ただ、これも当時の腎移植患者の「肉声」だと思って、大目に見ていただければ幸いです。