「サイコネフロロジー」
という言葉、ご存じでしょうか。
比較的、新しい学問領域のようです。
サイコネフロロジー(psycho-nephrology)について
一般社団法人 日本サイコネフロロジー学会HPには
CKDの患者さんやご家族の「こころ」を扱う学問領域です。
腎臓病学(nephrology)と「こころ」を扱う学問である精神医学(psychiatry)、心理学(psychology)、心身医学(psychosomatic medicine)とがお互いの知恵を出し合いながら、ともに作り上げていきます。
(引用元:一般社団法人 日本サイコネフロロジー学会)
とあります。
透析や移植といった腎代替療法を受けながら
慢性腎臓病(chronic kidney disease: CKD)とともに生きる患者やその家族には
さまざまな悩みや葛藤が生まれ、それが時に
専門的治療が必要な「こころ」の病気として現れることも少なくない。
慢性腎臓病患者の多くが抱える「こころ」の問題が見逃され
ケアに繋がっていない現状に対し
医師、看護師、臨床工学技士、移植コーディネーター
薬剤師、管理栄養士、理学療法士、ソーシャルワーカーなど多くの職種に加え
「こころ」の専門家である精神科医、心療内科医、公認心理師が互いに尊重しあい
協働していこう
とする学問領域のようです。(参照元:一般社団法人 日本サイコネフロロジー学会)
私自身も、これまでの道程
末期腎不全→生体腎移植→腎移植廃絶→HHD
悩み苦しみ、葛藤しながら、現在に至ります。
いつの時も
自分自身を奮い立たせ、前へ進む原動力となったのは
「言葉」です。
今、私の"透析室"
私が透析中横になるリクライニングチェアから見える位置に
「日めくり KAZU 魂のメッセージ 底力」がございます。
Jリーグ元年当時から、履歴書の「尊敬する人物」欄に
❝三浦知良❞
と書くほど、私がリスペクトして止まない人物。
彼の言葉を通じて
HHD患者である今の自分の「こころ」の内を言語化したものを
数カ月前からTwitterに投稿しておりました。
これらを今回、一つにまとめてみようと。
私と同じ、慢性腎臓病とともに今を生きている方
一人でも多くの方に
僅かでも響くものをお届けできたら、幸いです。
(Amazonに飛びます)
Table of Contents
【透析患者の心理】"キング・カズ"の言葉を通じて、HHD患者である今の自分の「こころ」の内を言語化してみる
"どんな環境にいてもその「良さ」をみつけたい"
毎日透析してる"今"の「良さ」を見つけたいと思うも
どうしても、ネガティブな方に気持ちが傾く時が多い。
特に、在宅血液透析は自分との戦いでもある。
自分に負けちゃ駄目だ!、と
今日も自分を奮い立たせる。
"ほんとうの敵は自分自身なんだ!"
痛いの承知。
それでも
自分で自分の血管に針を刺し込む"自己穿刺"
「かったるいから今日休みたいな~」
と思う心に喝を入れる。
まさにHHD(頻回透析)は
"自分との戦い"でもありますね。
"上を向いている限り絶対にいいことがある"
KAZUさん…我々には酷ってもんです…
ただ
- 腎機能回復するわけじゃない
- 献腎移植すぐ受けれるわけじゃない
と言っても仕方ない。
自分で変えられる事にFOCUSして
そこで自分にとっての【いいこと】が見つかれば、幸運だ。
"とにかく今日を一生懸命、精一杯やる"
献腎移植待機年数を考えると
終わりが無いと言っていい透析生活。
折れそうになる気持ち。
それでも、いつも通りプライミングをし自己穿刺をする。
とにかく
目の前の透析をやるしかないのだから。
"責任感は大事だけど楽に考えることも大切"
「キツかったらその日は止めていいんだよ、在宅は次の日やれるんだから」
お世話になってる移植コーディネーターさんの言葉。
言われて、ものすごく気が楽になった。
透析は長期戦。
悲壮感にさいなまれず、上手に病気と付き合おう。
"人生は成功も失敗も五分 あきらめないことが肝心"
"人生はトントン"と、よく言われる。
尿毒症キツい時、移植腎廃絶した時、透析しんどい時…
「なんで俺が…」
と思うことはある。
でも
今を生きるしかないのよね。
自己管理を徹底し、日々透析する。
きっとイイこと、ありますよね?
"遠回りをしたことで 得るものもある"
大学の同期は皆、20代で結婚
子供にも恵まれ40前にマイホーム購入
職場では要職に就き…
そんな彼らの姿を横目に、自己嫌悪に陥ったことも。
でも
- 腎臓移植
- 移植腎廃絶
- HHD
これはこれで、なかなかの経験してるじゃん!と
自分で自分を少し褒めてみる。
"人生には山も谷もある 谷をも楽しんでいたい"
移植腎が廃絶し、透析に戻る患者の気持ちを考えると
その「谷」を
とても楽しめる心境になれるとは思えない。
自分の状況を"否定"し、そして
"怒り"、時に
"抑鬱"に。
ただ事実を"受容"し、前を向ければ
まずはそれで御の字か、と。
"自分でやる!という気概をもつ"
HHDは
介助者の存在無くしては成り立たない。
しかし介助者は、あくまで
"そばで支えてくれる存在"
であって
患者本人が
HHDに関わる全てのタスクに、責任を持つべきだ。
年齢や基礎疾患、透析当日の体調等
やむを得ぬ事情がない限り
「俺寝るから、透析中何かあったら頼むね」
これは"ナシ"だと、私個人的には思う。
まとめ
「サイコネフロロジー」による患者へのアプローチが
どのようなものなのかは、勉強不足もあり、よく分かりません。
ただ
個人的経験則で言わせてもらうと
他人からの心理的アプローチに応じられている間は、まだマシで
追い込まれてくると
自分以外の周り全てが「不快」に感じてしまって
聞く耳を持つ余裕すら無くなる。
理想を言えば
「こころ」の"ほころび"を
他人に紡いでもらうのではなく、自力で紡げる
❝自己修正力❞
を、患者が自ら身に着けることができれば、と思うが
私も、そんな強い人間ではないですからね…
とはいえ
おそらく❝自己修正力❞の源となるであろう
自分なりの「生」に対する哲学や倫理観のようなものを少しでも積み上げられるよう
「こころ」が比較的正常である時に、関連する書籍などを読んで
常に思考することは、意識しています。
加えて
共生
「善く生きる」ことの意味を
問い続ける旅の途中で、
出会うであろう全ての人が、
善く生き、
悔いのない人生を送るための、
一助となる。
との理念で始めた当ブログも
回りまわって、自分のメンタルバランスを保つのに
大いに役立っているという事実。
皆様には、ホント感謝です。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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