今回は
在宅血液透析(HHD)導入から約8年弱の間に起きました
『3つの"事故"』
についてご紹介して参ります。
人身に関わる事なので、"ハプニング"や"トラブル"という言葉ではなく
"事故"
をという表現を敢えて使わせて頂きました。
自分自身含めて
家族の誰かが体調不良等で倒れる、ということは
もちろん、できれば起きてほしくはない。ですが
毎日生活していれば誰にでも起こりうること
皆様にも、ご想像の範囲内だと思います。
しかし、そこに
「自宅で血液透析をしている最中に」
という"オプション"がついたらどうでしょう、想像できますか?
殆どの方はおそらくイメージできないのではないでしょうか、なぜなら
「在宅血液透析をしている人間が少ないから」
ですよね。
レアもレア、"超レア"なケースではありますが
「在宅血液透析をしていると、こんなことも起きますよ」
「確率は非常に低いですけれども、起こり得るんですよ」
特に
これから在宅血液透析の導入を検討されている患者さんにとって
一応の参考情報にはなるかな、と思いましてご紹介することにしました。
1つは、私自身の身に起きたこと
他2つは、私の家族の身に起きたこと
Table of Contents
【在宅透析と事故】在宅血液透析中に患者及びその家族の身に起きた3つの"事故"
1件目:透析中の(私の)失神
"事故"の背景
1件目は、私の身に起こった"事故"になります。時は2014年。
2013年8月に「自宅で血液透析をする」という生活が始まりました。
血液透析そのもの(施設通院血液透析)を経験せず
いきなり在宅での血液透析を行ったこともあり
私自身、血液透析を行っている最中の身体に
- どういう症状が起きるのか
- どういう気分不快が起こるのか
ということが、ちょっと理解できていなかった、つまり
身体の"細胞レベルでのメモリー"がない。
したがって、透析中に
- 「なんか身体がムズムズするな」
- 「頭がスーッとするな」
- 「ちょっと冷や汗が出るな」
との症状を感じても、これらが透析によるものなのかどうか、ということが
ちょっと分かっていない状況。
2013年HHD導入当初から約1年間は、これら気分不快の"正体"がなかなか掴めず。
DW(ドライウエイト)もなかなか定まらないことも相まって
"落ち着かない透析生活"が続いておりました。
その矢先に起きた"事故"。シンプルに申し上げれば
「気を失った(気絶した)」
ということです。
施設血液透析を行っている透析患者さんからすると
「透析中の気絶なんて珍しくもなんともないよ」
と仰るかと思いますが…
"自宅"での血液透析中に気を失った
という事を想定できていますか?
医療施設で血液透析を行っている患者さんが、もし透析中
特に透析後半に血圧が低下して気を失った場合にどうなるかと言うと(おそらく)
看護師さん及び周りのスタッフ方々が処置をするでしょう、例えば
- 徐水を止めて、足を挙上
- 場合によって生理食塩水を注入する
という処置を"看護師スタッフの方が"行います。
では、在宅血液透析の場合はどうか。
「患者が気を失っている、じゃあ誰がやるんだ」ということですね。
「介助者がいるじゃないか」
この点は微妙でして…
在宅血液透析を管理する医療機関により、HHD導入トレーニングを
- 患者"のみ"トレーニングを行う
- 患者と同じようなレベルで"介助者も"トレーニングを行う
というケースがあるそうです。
私の在宅血液透析を管理して頂いてる医療施設は原則
HHDに関わる全てのことは、"患者自身で行う"ということを前提で考えてますので
トレーニングは私一人"だけ"で行いました。
とはいえ一応、スタッフからは介助者含め家族の者に対して
「こういうことが起きたら、これこれこうして下さいね」
(血液ポンプを止める、生理食塩水を入れる等)
といった周知はございます。
しかし、もし
透析患者である旦那様や奥様、お父様やお母様などが
在宅での透析中に目の前で
白目剥いて、痙攣を起こして、気を失って倒れた場合に
どれだけの方が、言うなれば素人が、どれだけの適切な処置ができるか…
正直、甚だ難しいと言わざるを得ないんじゃないでしょうか。
この点においても
在宅血液透析中の気絶というのは、非常に危険なものであると思います。
が、それが実際に私の身に起きてしまった。
実際の"事故"の様子
2014年の5月頃
透析中、まず
足のムズムズ感(※これが「レストレスレッグス症候群」かどうかは不明)から始まり
それが上半身にも伝わり、それから
頭の中が"スーッ"とするような感覚がありました。
「ヤバいな、ヤバいな」と思いつつ、透析を続けたわけですが、それから
視野が「遠く」「狭く」なってきました。
ただ、この辺りは自分が気絶寸前なので、記憶そのものが曖昧なんですが…
で、気が付いたら気を失っていた"らしい"。"らしい"というのは
私自身は気絶してるので、その前後の事は当然よく分からないのですが
介助者である妻と、体調異変時から近くにいた母の話では
もう唇が完全に変色してしまって、白目剝いて後方に倒れたそうです。そりゃ慌てますね…
ただ、幸いなことに、長い時間気を失っているというわけではなく
(自分がおぼろげながら記憶しているのは)
気を失って、覚醒して、まだ気を失って、覚醒して…
が繰り返されたような。そして、潜在意識の中で
「自分が何とかしないと」
というものがあったのでしょう。
覚醒している僅かな時間で(何秒かの間かもしれませんが)妻と母には
「大丈夫だから、大丈夫だから」と。
ただ妻と母は、やはり救急車を呼ぼうということで"119"に電話。
僕自身は"無意識の意識"下
「まず透析を止めなきゃ(血液ポンプを止めなきゃ)」と
回っている血液ポンプを止め、そして
「返血しなきゃ」と。
もう手先が麻痺してしまっていて感覚もあやふやでしたが
何とか鉗子を握りしめて返血作業を行いました。すると
血液回路内にある自分の血液約200mlが体内に返されていくにつれ
覚醒している間も長くなり、そして完全に意識が戻ったという状態にはなりました。
その時点で、119番に電話した妻は状況説明をしている最中でしたが、私は
「救急車はいいよ、大丈夫」と。
なんとか返血し終え、自分で針を抜き、止血
その後はその場で、とりあえず横になりました、足は挙上して。
真っ青だった顔色を戻すのにはそれなりに時間はかかりました
1時間位はかかりましたか。
"事故"後
結構ドタバタと言いますか、緊迫感のある現場だった"そうです"。
"そうです"というのも
私本人は朦朧と且つ必死でしたし、記憶も断片的。
緊迫感のある現場だったということを物語るエピソードがございます。母について。
自分の息子が目の前で「白目剥いて痙攣おこして倒れた」という現場を見て
"突発的な健忘症"のようなことになったんですね。
私が体調戻ってきて、起きた事象を反芻し、妻や母と話をしてる時に、母が
「あんた何言ってんのよ、そんなのなかったじゃない」と。
今さっき、目の前で起きたことが無かったことになっちゃってるんですね。
「いやいや、今倒れたじゃん!こうやって119番電話しようとしてたじゃん!」と話しても
「そんなの知らないよ」と。まあ、程なくして記憶は戻るんですが…
それだけショッキングな"絵"だったんでしょうね。
この一件を境に
透析中の体調変化に対しては、ちょっと(かなり)気を遣うようにはなりました
当たり前ですが💦
自分の身体の危険もそうですが
家族に心配を必要以上にかけるようなことは、やってはいかんな、と。
「気絶をした」という事故を境に
より慎重に在宅での血液透析に向き合えるようになりました。
2件目:父の容体急変
2件目は、私の父の身に起こった"事故"になります。
実は、残念ながら2016年の7月に、私の父は他界しました、ガンでした。
そのことに関わる事故事例になります。
2016年3月に末期食道がんの告知、他臓器にも転移
そう長くはないなということは覚悟してはいました。
オペをする段階ではもはやなく
化学療法はやりましたが、1回~2回程度しかできなかったですかね。
そんな父が、少しずつ衰弱していった中で起きた事故。
時系列でお話を進めますが、最初に…
父は"日曜日の朝"に亡くなりました。
その2日前の金曜日の夜22時から23時の間に自宅で起きた"事故"。
その時間帯、私は2階で血液透析をいつものように行っておりました。
母はその時自宅におりません。
その約1年前に母も残念ながら癌が発覚しまして
その日は抗がん剤治療のため入院しておりました(土曜日退院予定)。
したがって、1階には父一人。
ふと、透析中に何か"変な臭い"が1階からしました。
(後にそれが"タール便"だったことがわかるのですが…)
すると1階から、父が妻の名前を呼ぶ声がしました。
私は透析中、当然透析機器と繋がっておりますので、すぐには動けませんので
妻が駆けつけたところ、父が倒れていた、ということです。
私自身「想定していた」とは言いませんが、その瞬間
悠長なことを言ったりやったりしてる場合ではないな、というのは分かっていたので
透析をしながらではありますが、すぐに救急車を要請しました。
救急車を待つ間は、妻が父を介抱してくれました。
救急車が到着、とりあえず妻だけ救急車に同乗してもらい、私は後から追っかけることに。
すぐに透析終了、返血、抜針、止血。
在宅血液透析の最中に起きるとは到底想定できないようなハプニングでしたが
我ながら、慌てずにそれなりの処置、手配はできたのかなと、今では思っています。
1階に降りると…
父の部屋から廊下を伝ってトイレに至るまでの"導線"上所々に
汚い話ですが、便(タール便)が付いていたんですね。
おそらく父は倒れながら、それでもなんとか自力でトイレに行こうとしたが力尽きた…
そう推察しております。
救急車を要請しながら同時に(※母は入院しておりますので)近くに住む姉に電話をしておりました。
その姉がまず自宅へ来てくれ、家の"惨状"を見て「この状態で病院に行くのは…」ということで
急いで清掃・消毒をしてから、二人病院に向かいました。
結局、二日後の日曜日の朝に父は息を引き取ってしまったわけですが
その間、予断を許さない状況下ではありましたが、私の透析も心配しなくちゃいけない。
その後の展開次第で、いつ透析ができるかわかりませんので
「(透析)やれる時に(短時間でも)透析はやらないと」という思いがありました。
折を見て自宅へ戻り、2hという短時間ではありますが、血液透析は施行しました。
亡くなってからも、通夜/告別式の打ち合わせ
母も抗がん剤治療中、体調十分でないですから、私がしっかりしないといけない。
とはいえ、自分の透析もやらなくちゃいけない。
そういった"狭間"にいながら、
通夜/告別式の合間を縫って短時間透析は施行しました。
ポジティブに考えれば「在宅血液透析であったからなせる業」だったのかなと思います。
3件目:透析中の(介助者の)失神
最後は、私のHHD介助者である妻の身に起こった"事故"になります。
2020年上旬
透析中、介助者として私の目の届くところに常にいてくれる妻
その妻が、透析中の私の目の前で倒れました。
後に精密検査をして異常は見当たらなかった、特に脳神経系の異常がなかったので
原因はおそらく起立性の低血圧的なものじゃないかな、と。(あくまで素人判断)
HHD介助者である妻は、毎日フルタイムで日中働いてます。
当然疲れもあるわけで、私の透析中にどうしても寝てしまうこともあるわけです、仕方ないですよ。
ただ、警報ブザーが鳴ったりすると、時に"バッと"起き上がるわけです。
"バッと"起き上がって反射的に私のいる所へ来てくれるのですが
その足は"千鳥足"、言うなれば少々"寝ぼけてる"こと多々あるわけです、これもある程度仕方ない…。
この時は、私の血圧を測るタイミング。
妻が"スクッ"と立ち上がって私のところへやってきました。
バイタル結果を(寝ぼけながらも?)経過表に記入(※最近は経過表記入を妻にお願いしてる)
記入後(珍しく)透析機器の横にある椅子に腰掛けまして。するとそこから…
経過表を挟んでいるクリップボードを胸に抱えた、その態勢のまま
まず膝から「ダン!!」と崩れ落ち、そのまま顔面から倒れました。
クリップボードを胸に抱えたことが幸いし両肘が先に落ちたことで
顔面を強打することは免れましたが…
透析機器に繋がっている私は、かろうじて妻に手が届く範囲ではありましたが
この状態、つまり片手の私でできる介抱はたかがしれてる。
妻の名前を呼ぶも、意識が戻らない。
急いで1階にいる母を呼び、一時母に介抱をバトンタッチ。
妻の顔、もう真っ青なんですね、というか真っ白
不謹慎かもしれませんが、亡くなった人間のそれ。
流石に私も焦りまして、何をしたらいいか、一瞬迷ってしまった。
今思うと、"失策"だったなと思うのが…
水でも飲ませて少し落ち着かせた方がいいかな、と思い
少し意識が戻り始めた妻の上体を起こして、水を飲ませたりしたわけです。そうしたら
コップに口をつけて水を飲んだ途端、また激しい痙攣が起きて
再び白目剥いて"バタンっ"と倒れてしまいました。
この時は私も母も傍らにいたので、地面に直接身体を打ち付けることはありませんでしたが…
そこでやっと、「これは多分起立性低血圧的な症状だろう」と思い
足を挙上させて(意識はあり、会話はできていたので)とにかく身体を落ち着かせることにしました。
その段階ではまだ私は透析機器に繋がったままだったので、妻の介抱は母に任せて
私は、透析終了、返血、抜針、止血を施すことに。
時間が解決した形で、妻の顔色も徐々に戻ってきました。
妻は妻で、やはり意識が飛んでるので自分の身に何が起きたか、記憶が断片的だったようですが
少しずつコミュニケーション取りながら、通常に戻ったということです。
この"事件"、一番は妻自身がショックだったようです。
自分は結構丈夫だと思ってたのに、それがこのようなことが起きてしまったわけですから。
急いで総合病院に行って色々検査をしたりしてました。
先述した通り、特に問題はなかったので良かったですが。
これ以降、「気を付けられることは気をつけよう」ということで
例えば、警報ブザーが鳴った、バイタルを測る時間になった
その時間帯に妻が、やはり疲れて寝てしまっていた場合は
私が当然ながら、諸々の処置をやろうと(本来当たり前なのですが…)
妻は妻で、寝た状態から起き上がる時
"バッと"と起き上がらないで、まずは上体を起こして座位になり
心も身体も落ち着いてから立ち上がるよう、意識付けしてくれてます。
以降、当然ながら今ご紹介したような"事故"は起きてはいないですが
妻にとっても私にとっても非常にショッキングな"事故"でした
まとめ
現在HHD導入を検討されている方で
もし自分が自宅で血液透析をしていた場合に、という条件でイメージしろと言われても
なかなか"絵"が描けないような事例だったと思います。
ただ、何が起きてもおかしくないということですね。
この三つの"事故"で私自身一番強く感じたのは
「在宅血液透析を行う患者自身が、いかに冷静でいられるか」
ということ。
自分のシャント肢に針が刺さって透析機器に繋がれた不自由な状態で
- 自分の目の前で大切な家族が倒れる
- 自分自身の身体に異変が起きる
その時に「冷静であれ」ということは酷なことかと思いますが
それでもやはり「冷静であるべき」と、私は経験上思います。
そのためにも(これはイチ患者の個人的見解ですが)
患者というのは、自身の病気及びその治療について
受け身一辺倒ではなく"能動的"に勉強すべきだと。
素人であっても、知れること理解できることというのはあるはずだ、と。
医療者レベルの知識技能でなくても、役に立つ知識というものはあると思います。
今回ご紹介したような
冷静でいろと言われても冷静でいられないような、精神的に乱れそうな場面であっても
間違えないような手を打てる
《100点》ではなくとも《60点/70点》は取れる適切な処置ができるためには
冷静でいることはもちろんのこと
必要最低限の、素人でも理解可能な知識、それも
自分の病気について、自分が今受けている治療についての知識というのを
能動的・積極的に学ぶ必要がある、もっと言えば
患者の"意識改革"というものも必要なんじゃないかな、と。
特に、在宅血液透析というは
医療行為自体を、医療者から離れ患者の自主性に任されている部分があるので。
欧米で在宅血液透析の普及率が高い理由の一つとして
自分のことは自分でやろう『Do It Your Self !』のスピリットが根付いてるからだ
という方がいらっしゃいます。
(イチ素人イチ患者が偉そうなこと言えませんが)
在宅血液透析の"裾野"が広がっていくには
ハード面の進歩だけではなく、患者の意識といったソフト面の向上
"自分でやれることはやろう"という意識改革も必要ではないか。
一朝一夕にはいかないでしょうけれどもね。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。