「腎臓リハビリテーション」という言葉をご存じでしょうか?
腎臓リハビリテーションガイドラインによると「腎臓リハビリテーション」とは
「腎疾患や透析医療に基づく身体的・精神的影響を軽減させ,症状を調整し,
生命予後を改善し,心理社会的ならびに職業的な状況を改善することを目的として,
運動療法,食事療法と水分管理,薬物療法,教育,精神・心理的サポートなどを行う,
長期にわたる包括的なプログラム」
と定義されています。
慢性糸球体腎炎と診断されたのが、大学卒業時頃、今から約25年も前。
生体腎移植手術を受けたのが2002年、今から18年前。
腎臓保存期及び腎移植後の運動に対する考え方やアプローチは
当時と今とでは随分違うだろうな、と何となくでは思ってはいました。
そこで今回、過去と現在における
慢性腎臓病(CKD)患者並びに腎臓移植患者の運動との関係を
私自身の体験の振り返りを中心に、お話していきたいと思います。
❝私自身の体験の振り返りを中心に❞と敢えて申し上げているのは
当然ながら私は医者でもなければ専門家でもない、現在はただの透析患者だから。
専門的知見を述べる権利はございません(引用することは出来ますが)
ただ
専門的知見は医療機関等のHPをご覧いただければ得られる一方で
患者サイドの考え方、生活の過ごし方を、その患者自身が紹介することの意味は
ターゲットは狭いながらも少なからずあるのかな、と思ったわけです。
【腎臓病患者と運動】❝慢性腎臓病患者と運動との関係❞を過去・現在で比較してみる
私と運動の歴史
アラフィフおじさんが、人生を小・中学校まで遡ったところで
どうせそんな記憶など曖昧でしょう。そこで、遡りMax高校時代、ということで。
高校から大学卒業まで、所属は陸上競技部、主戦場は100m。
パーソナルベストは
高校二年県総体でマークした、当時歴代県記録タイの10秒6(当時は手動計時)。
一年間の浪人生活の後入学した大学では、3年次の関東インカレ(二部)で記録した10秒82。
(注:今から20年以上も前ですからね。
日本記録が10秒2台の時代である点差し引いて、どうか温かい気持ちでイメージ願います)
身長が低い分、自分より高身長の猛者たちと対等に戦うため
筋力トレーニングは重視しておりました。
自重負荷トレーニングは補助的で、基本的には器具を使ったウエイトトレーニング。
筋肉の破壊と超回復を繰り返す毎日。
大学卒業後は陸上競技からは引退しましたが
身体を動かすことはライフスタイルとして続けていました。
当時所属していた会社の仲間とサッカーチームを作り、町の大会などにも出場したり
スノーボードをしにワンシーズン二桁を超す回数
ゲレンデへ向けて夜中の高速を車で走り越県したもんです。
種目はなんであれ、スポーツに関してはとことんやりたい❝タチ❞たちなので
❝軽く身体を動かす❞、という感じではなかったと思います。
腎保存期の運動
当時の私
一般社団法人 日本体力医学会 学会誌『体力科学』69巻1号
CKDの原因疾患を透析導入原疾患でみてみると、
1980年代まではその原因の60%以上が慢性糸球体腎炎であった。
糸球体腎炎、ネフローゼ患者に対しては、急激な運動・立位によって
尿タンパク量の増加、腎血流の低下などがおこり、腎障害が進むことから、
従来学校検尿異常者に対しては、
日常生活、体育授業などへの参加について制限の必要性が示され指導されてきた。
とあるように、当時の私の認識も
「運動をすると血流が筋肉に向かい、結果腎血流が減る、したがって運動は制限すべし」
というものでした。
大学卒業時頃に慢性糸球体腎炎と診断され、その後じわじわクレアチニン値が上昇していくのですが
ヘモグロビン値(ヘマトクリット値)のような
低下すると疲労感を自覚しやすくなる類の値が、すぐに低下したわけではなく
そのため
身体が急にガタッとする(物凄く息が切れる)ようなことは"早々には"ありませんでした。
今思えば…
前述したような高強度の運動を行っていたのは"現役時代"まで
それ以降は、競技色の強い運動はしておりません。したがって、もし
腎機能が徐々に徐々に低下している時期に同強度の運動をしていたら
「あれ、なんかすぐ疲れるな」との自覚症状はあったかもしれません。(あくまで"たられば"の話)
しかし、そんな悠長な状況も20代中盤まで。
それ以降は
足を中心とした浮腫みが酷くなり、正座もろくにできない状況
常に足がダル(当然身体もダル)かったので、運動する気も起きなかった
というのが正解でしょう。
現在の見解
再び「運動と慢性腎臓病――腎臓リハビリテーションとは」を見てみると
若年者の慢性糸球体腎炎においても、
急性期の一過性の蛋白尿の増加、腎血流の減少は認めるものの、
これらの疾患に対し、運動制限、安静をすることの
長期的な腎機能の保護効果には、否定的な見解が出てきた。
とありました。
腎保存終期当時の私は、いわば❝従来型❞
「腎臓に負担をかけぬよう、身体は横にして安静にしていた方がよい」
との認識を持っていました。
さらに読み進めると
腎臓リハビリテーションガイドラインに示すごとく、
これまでの研究成果から、
1 )糸球体腎炎,ネフローゼ症候群患者への運動制限の腎保護効果のエビデンスは乏しいこと、
2 )保存期慢性腎不全患者に対し、運動療法を実施することで、生命予後、入院率に対する効果は明らかでないが、
腎予後、運動耐容能、QOLについては有意な改善が期待できること、
(途中省略)
が明らかとなっている。
ともあります。
やはり20数年前と今とでは
考え方、アプローチの仕方に随分変化が生じているようです。
とはいえ、「変化した」という意味は
決して当時の治療アプローチが間違っていたことを意味するわけでなく
当時は当時として、患者として自分なりにやれることはやっていたと思います。
腎移植後の運動
当時の私
術直後は積極的に運動を病室内、病院内で行っていました。
離床出来るようになってからは、歩行運動中心(術後何日目から開始したかは不明)。
メスを入れた右腹部に癒着感・硬直感はあり、ドレーンも刺さっている状態ではありましたが
最初は病室内(個室内)のスペースを歩行、慣れてきたら病院の廊下。
病室のあるフロアの廊下が周回になっていたので、ゴロゴロ点滴棒を頃がしながらウォーキング。
日ごとに周回数を増やしていきました。
前述した腹部の癒着感・硬直感が強く感じる時は、気持ちが負けそうになるところ
歩き始める直前、さながら100mスタート前の昔の自分を想起させ
気持ちを集中してからスタートを切ったこと、覚えてます。
腹筋が緩んでくるのも、元アスリートの端くれとしては許せなかったので
(今では例にもれずポッコリ出ちゃってますが・・・)
担当医師の許可を得てから、ベッドの上で
腹筋・背筋・腕立て・スクワット等、軽めではありますが自重補強運動をしてました。
もちろん、その時はドレーンは抜け、点滴用のルートもない状態です。
術後の急性期は入退院を繰り返しましたが
(詳細はこちら↓をご参照下さい)
安定期に入ってからは、高負荷の運動は避けつつ
ゴルフや水泳などで身体を動かすようにはしてました。
ゴルフは実際何度かコースにも出てプレー出来ました。
また、当時まだ小さかった甥っ子達とは、公園でサッカーしたり。
一緒に「かけっこ」した時は、周囲で見ていた母や姉は
甥っ子の走る姿よりも、私の走る姿に感激しておりましたが。
ただ、残念ながら
移植腎の機能が低下し始めてからは
軽い運動をすることも肉体的に余裕がなくなってきました。
どちらかというと、むしろ極力身体を動かさないようにしていたと思います。
腎保存期終期同様、基本的に休んでいるときは極力身体を横にしていました。
現在の見解
こちらについては❝専門医とつくる腎移植者のための医療情報サイト❞
MediPressにあるコラムの一部をご紹介致します。
- ○○先生は、腎移植後、いつ頃から運動を行った方がいいとお考えですか。
○○先生:
移植手術後、2~3日目から歩いてもらい、6~7日でほとんどの患者さんがドレーンなどの管が抜けると思いますので、
その時点から軽いウォーキングなどをしていただくのがいいかと思います。
筋肉トレーニングに関する記述もございます。
- 筋力トレーニング、いわゆる“筋トレ“は行ってもいいのでしょうか。
やりすぎは問題ですが、筋肉が落ちない程度の筋トレはむしろ必要だと思います。
筋肉があまりに増えると腎機能には良い影響はありませんが、
筋肉量が増えたことにより上昇したクレアチニン値は、本当の腎機能を表してはいないと思います。
実際、筋トレをしていた患者さんが筋トレを止めると、クレアチニン値が下がりますので、見かけ上の腎機能は改善します。
筋肉量が増えた結果、クレアチニン値が上昇してクレアチニンクリアランスが下がったときに、
イヌリンクリアランス(本当のGFR)も下がるのかということを検証した研究はまだないと思いますが、
おそらく筋肉量増加に伴う多少のクレアチニン値の上昇は、本当の腎機能とは関係が無いのではないかと思います。
同コラムには疲労感の指標である(と私が勝手に思っている)
ヘモグロビン値(ヘマトクリット値)に関する記述はありませんでした。
その点私が気になる理由は、私の場合
腎移植後も造血剤(エリスロポエチン、薬はエポジンやミルセラ)を投与していたから。
移植者スポーツ大会の映像を見たりすると、関心すると同時に
「どうしてあんなに動けるの??」
と思ってしまいます(思っていました)。
移植臓器に違いがあるんでしょうか?ちょっと勉強不足で私には分かりません。
まとめ
腎機能が低下し保存期(後期)になると
厳しい食事制限と運動制限が(当時は)患者に課されていました。
一般的に、腎保存期の多くの患者さんは
「食事制限が辛い」という声、当時良く見聞きしてました。
ただ私の場合は、ありがたいことに
ドナーである母が、徹底した食事管理をしてくれていました。
塩分量・たんぱく量・カロリーを正確に計算した上で
それでいて非常に美味しい料理を、毎日提供してくれていたこともあり
「食事制限が辛い」
と思ったことは、ありませんでした。
その反面、私が辛かったのは
運動が制限されたこと。
幼少期から、スポーツは観るのもやるのも好き。
また、陸上競技については、自分なりのレベルと戦場(関東大学二部インカレ決勝)ではありましたが
誇りと自信をもって取り組んでいました。
ところが、運動を制限されたことで
脳と身体(筋肉)との間の神経伝達のズレみたいなものが生じたのか
運動できない現状に対し、常にストレスを感じていました。
頭では動きたい、動けるはず、と思っていても身体は動かせない
そして徐々に、動かしたくても動かせなくなる状態へ。
気持ちに折り合いをつけるまで、かなりの年数は費やした。
「透析患者」という、別のステージとなった今では
そこまで「スポーツしたい!!」との強い気持ちはありませんが
「年齢も重ねても今の透析環境(HHD)は維持したい」とのモチベーションで
軽いストレッチ、軽い自重負荷運動を日々行っております。
"その程度"の運動ですが
長年動かさなかったことで固まってしまった関節や衰えた筋力が
少しずつ戻ってくる感覚はイイもんで
メンタル面でのリフレッシュにもなっております。
※「透析と運動」をテーマとした記事もございますので是非ご参照を!👇
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。