先日のスタエフLIVEに参加してくれた甥っ子が、収録中
私が移植腎が廃絶したことを
移植腎が"ダメになる"と表現しない理由を、訊ねてきた。
(50:50~)
理由はシンプル…「レスペクト」の想い。
- 提供された腎臓に対するリスペクト
- 約10年間、機能してくれた移植腎に対するリスペクト
- 腎臓を提供してくれた母へのリスペクト
「言い方なんで、どうでもよくね??」
仰る通りかもしれません。
移植腎が廃絶することを「ダメになる」と表現する人たち。
腎移植医療に全く関わらのない"一般人"ならいざしらず
たとえ、腎移植を受けた患者でも
移植腎が廃絶することを「ダメになる」と表現する人たちは
当然ながら一定数いらっしゃって(なんなら、大多数??)
彼等に対し、とやかく言う気は、全くない。
あくまで、個人的な"こだわり"。
腎移植を受けた患者(レシピエント)の中には、一定数
生活不摂生、自業自得により
移植された腎臓を、文字通り「ダメにしてしまった」方もいること
容易に推測はできる。
また、これは私の勝手な想像だが…
移植腎が、"超急性期"での廃絶を余儀なくされ
移植された腎臓が、一刻も自身の身体の一部になる感覚を
おぼえることができなかった患者様にとっては
「移植した腎臓がダメになった」と、あえて表現する方が
気持ちの上で"しっくりくる"ケースもあるのでは、と。
一方で、私のように
移植直後の超急性期を凌ぎ、一定期間、移植腎が生着してくれたものの
"自身では、どうすることもできない原因"で廃絶を余儀なくされた患者にとっては
- 提供された腎臓に対するリスペクト
- 約〇年間、機能してくれた移植腎に対するリスペクト
- 腎臓を提供してくれた〇へのリスペクト
の念から、不用意に
「移植した腎臓が"ダメになった"」
と表現することに、多少の抵抗感を覚える方も、いらっしゃるのではないか?と。
同様の理由で私は、移植腎を(が)
「長持ちさせる(長持ちする)」と表現することにも、抵抗感をおぼえる。
「言い方なんで、どうでもよくね??」
仰る通り。
折角の移植腎も
レシピエント自身が生活不摂生、自業自得な行いをすれば
いとも簡単に"短命"(長持ちしなかった)となる…こんなこと、当たり前。
だからといって、レシピエントがその「逆」
生活を摂生し、自己管理を徹底すれば
「移植腎は"長持ち"する」
わけでは、断じてない!と、移植腎廃絶経験者からは口を挟みたくなる。
愛?
確かにそれは、非論理的なものの象徴だ。
(引用元:🎬『容疑者Xの献身』湯川学のセリフより)
「愛」や「絆」といった、"非論理的"なものの存在で
「移植腎は"長持ち"する」
わけでは、断じてない!と、移植腎廃絶経験者からは口を挟みたくなる。
移植腎が生着し続けるか否かは、はっきり言って
「運だ!」
- 薬(免疫抑制剤)を一定の期間で忘れずに服用する
- 水分摂取
上記のような、腎移植後、レシピエントとしては当たり前のことを当たり前にするのみならず
人並以上に自己管理を徹底した(と自負している)にも関わらず
約10年で、移植腎が廃絶してしまった、私なりの"結論"。
「言い方なんで、どうでもよくね??」
仰る通り。
あくまで、個人的な"こだわり"。
しかしながら、その"こだわり"がある故に
移植腎に対する「表現」一つ垣間見るだけで
その方の、腎移植医療の「現在地(フェーズ)」が
なんとなく、分かるような…。
勿論、私のネガティブな想像を、良い意味で裏切ってくれることが、望ましい。
なんにしても"美談"を欲しがる人たちにとっては
「オマエは、なんて血も涙もないんだ!!」
と、お叱りを受けそうな、今回の論説でしたが…
「腎移植」領域での情報のアンバランス(「明」が「暗」に対し圧倒的優勢)が目に余る現状で
「こんな風な患者心理も、あるのよ…」
言ったとて"焼け石に水"、大目に見て下さいなm(__)m
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