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透析全般

【透析と情報】透析患者の"武勇伝"発信がもたらす「負」の影響

2022年8月21日

✅巷でよく耳にする、透析患者の"武勇伝"というのは、どういった類のものか?

✅一人の透析患者人生を「サクセスストーリー」に仕立てるために、その患者の"武勇伝"すら作品の材料とするメディアに対する不快感

上記2点について、私なりの見解を述べさせていただきました。

某ウェブメディアを通じて目にした

とある透析患者の"武勇伝"と、その流れからの"サクセスストーリー"を読んで

強烈な不快感(※私は【怒り】【悔しさ】)を抱くのは、私だけでしょうか?

私は、"そう"ではない、と。

そこで、今回は

メディアが、透析患者の「美談」を作り上げる過程で

(物語フィナーレへ向けたある種の"当て馬"として)

透析患者の"武勇伝"を安易に利用することによる「負の影響」は?

私なりに想定しうる範囲で、お話してまいります。

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透析患者の"武勇伝"発信がもたらす「負」の影響

はじめに…「人生」と「物語(ストーリー)」の違い

「人にはそれぞれの"人生"がある」

「人にはそれぞれの"物語(ストーリー)"がある」

これを人は時にごっちゃにし

「人にはそれぞれの"ストーリー"があって、誰もそれを否定できない!」

と、その"ストーリー"に違和感示すこと(人)に不快感を表す人が多い。

当該"ストーリー"が多くの人に感動を与えている場合は、尚更。

突然、なぜこんな話をしているか?

私は「人生」と「物語(ストーリー)」とを別概念としてハッキリわけているから。

言葉の(日本語の)概念理解に使えるのが、英英辞典。

「人生=LIFE」と「物語(ストーリー)=STORY」をそれぞれ英英辞典で調べてみると…

LIFE means

the state of being alive as a human; an individual person’s existence
the period between somebody’s birth and their death; a part of this period
a period of somebody’s life when they are in a particular situation or job

STORY means

a description of events and people that the writer or speaker has invented in order to entertain people
the series of events in a book, film, play, etc.

(引用元:Oxford Learner's Dictionaries)

the writer or speaker has invented in order to entertain people

との表現からもわかるように「物語(ストーリー)」には"to entertain people"を目的に

"人為的要素"が加味される"場合がある"、ということ。

メディアそれに属するライターが行っている業は、まさに「物語(ストーリー)」を作り上げること。

"to entertain people"を目的とした書き手の作品、全てが「罪」だと、そんなことは当然思っていない。

かく言う私も『Sports Graphic Number』を読んで、何度も心震わせた一人。

「物語」の対象が、自身とあまりに遠い存在(世界的スーパースター等)であればあるほど

単純なまでにその「ストーリー」に引き込まれ、時に感動する。

逆に「物語」の対象が、自身に近い存在(同じ透析患者、同じ腎移植患者等)となると

作中の"人為的要素"に「ん??」と違和感抱くのは、そんなに冷酷なことであろうか?

「人生=LIFE」は(※敢えて"言語化"すれば)その人間そのもの、存在そのもの。

つまり、はなっから「他人」が侵せるような類の概念ではない。

「人にはそれぞれの"ストーリー"があって、誰もそれを否定できない!」、これ正しくは

「人にはそれぞれの"人生"があって、誰もそれを否定できない!」

ただ現実問題として、その人の「人生」を"言語化"するとなると

その本人であれ他者(ライター)であれ、言語化され

アウトプットされた作品には、程度の差こそあれ"人為的要素"が加味される。

作品から伝えられるストーリーや"言い回し"に、心から感動する者もいれば

「ん?なんか違和感…」をの思いを抱く者もいる。至極当然なことなのに…

"人為的要素"が加味された「美談」を見聞きして「違和感あり」と表出しているだけなのに

その違和感がマイノリティであればあるほど、マジョリティからの攻勢

「何人たりとも、その人のストーリーを否定できない!!」と。

誰も、その人の「人生」までも否定してないっつーの…

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メディアが"武勇伝"誇る透析患者人生を「美談」に仕立てることの『負』の影響

同じ透析患者に対する「負」の影響

上記VTube動画でお話した内容と重複しますが…

透析に至ったのは"自業自得"とも言える患者の武勇伝を

他の透析患者が聞いたら、どう感じるでしょうか?

中には

「そう!そう!俺もそうなのよ!!俺なんかさ○○もしちゃってさ!」

などと、私個人的には理解不能な感じ方をする患者もいるでしょうが…

私のように、幼少期又は学生時に"腎炎"(※ここでは詳細割愛)を発症し、その後厳しい運動制限/食事制限を強いられ

それでも腎機能低下を余儀なくされた、言わば

「先天的」(※医療専門的には不適切な表現かもしれませんが)に腎不全、透析に至った患者様は多くいらっしゃると思います。

そんな多くのCKD患者様が、イチ透析患者の自業自得ともいえる「武勇伝」を見聞きしたら

どんな思いを抱くでしょう。

メディアの人間も、さすがに

イチ透析患者の武勇伝「単体」で物語を作り上げる発想は、ないでしょう。

高い「読了率」が望めないことはおろか

メディアそのものの信用問題にもなりかねない。

しかしこの「武勇伝」

"サクセスストーリー"を作り上げる上では、ある意味欠かせないチャプターにはなりえる。

「昔ヤンチャしてた奴が、今ではこんな立派になって…」

この手の話は、今も昔も人気なんでしょうが?

「透析となった"障害者"が同じ"障害者"(透析患者)のための会社(団体)を立ち上げた」

"サクセスストーリー"を描いた此度のストーリーにおいても

主人公の「不摂生/暴飲暴食/治療拒否」といった武勇伝は

物語の主人公が華々しいフィナーレを迎えるため、それを際立出せるための

"黒歴史"的要素であることは、文脈から明らか。

「患者の武勇伝」だけでは、読者を惹きつけることはできない。

「透析患者が同じ透析患者のための会社を立ち上げた」だけでは、これまた読者を惹きつけることはできない。

複数要素からどれを選択し、各章をどう構成し、細かな言い回しをどうするか等は

読者を引き付けるため、一番伝えたい「美談」を際立たせるための

メディア(ライター)の腕の見せ所か。

私が「人生」と「物語(ストーリー)」の段で引き合いに出した

"人為的要素"とは、まさにこのこと。

私たちとしては「サクセスストーリーのみにフォーカスする」という意図はなく、乙さん個人の症状との向き合い方と、当事者をサポートする活動を伝えることが企画のメインテーマであり、それにあたって病気と向き合う姿勢や起業に至るまでの背景なども、大切に扱っていたつもりでした。

(引用:某NPO法人からのメールより)

言葉尻を捕らえてる感は否めませんが…

>乙さん個人の症状との向き合い方と…

>病気と向き合う姿勢や…

>大切に扱っていたつもりでした。

自業自得とも言える「症状との向き合い方」「病気との向き合う姿勢」を

「大切に扱った」って…笑えないジョークですよ。

だ・か・ら

当該記事をアップするにあたり、ライターは

「透析となった"障害者"が同じ"障害者"(透析患者)のための会社(団体)を立ち上げた」"サクセスストーリー"のみに意識がフォーカスし

物語の主人公が華々しいフィナーレを迎えるため、それを際立出せるため

主人公の"黒歴史"的要素=武勇伝を、殊更「大切に扱った」たのでは?

と勘ぐってしまうわけです。

しかし、繰り返しになりますが

物語の主人公が華々しいフィナーレを迎えるため、それを際立出せるため

主人公の"黒歴史"的要素=武勇伝を、殊更「大切に扱った」ことで

それを目にした他の透析患者が、どれほど不快感を抱くこととなるか

全く想定していなかったんですか?と。

そもそも、時は「令和」。

「不良が更生していく」類の物語、手法としてはもう古くないですか?

と、蛇足ですが付け加えさせて頂きます…

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非透析患者(健常者)に対する「負」の影響

イチ透析患者の武勇伝を見聞きして「カリカリ」してるのは私だけで

意外と多くの透析患者様は

「まあ、そういう輩はいるよね」

で、サラッと流しているかもしれませんね。

※私の場合、「障害年金」「在宅血液透析」の要素も自身と絡んでいたんで、余計に…

当該記事の(私が思う)"厄介な点"

メディアがイチ透析患者の武勇伝を殊更に取り上げることの「罪」としては

それを見聞きした健常者に、透析患者全体へ「負」のイメージを抱かせること

であるかと。

一昔前、某民放局元アナウンサーの方が、透析患者への辛辣な記事を投稿して話題となりました。

執筆したご本人なりのexcuseはあるようですが…

参照

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48479701.html(※"保護されていない通信"のため、興味あるかたはURLコピペ願います)

透析患者に対する健常者の抱くイメージは大なり小なり、根っこの部分は一緒。

乙氏に関する記事は、このような健常者の、透析患者に対する「負」のイメージを助長させるものになりえないか、と。

つまり

「透析患者は、自業自得で病気になって医療費はタダ、おまけに障害年金も受給してる…"税金泥棒"だ!!」と…

私の周囲の方々に当該記事を読んでもらいました。

皆さん「私」を知っているので「透析患者=税金泥棒」とはもちろん思わないですが

「予備知識なしで健常者が読んだら、"透析患者=税金泥棒"と思う人、多いだろうね」

との意見が大半…

「現在の健康保険制度を斬る!」

みたいな視点で論を進めるのは、メディアの姿勢としてあって然るべきだし

その論の流れで「透析患者の武勇伝」を深掘りするのは

ライターの戦略としては「アリ」だとは思う。

しかし

「透析となった"障害者"が同じ"障害者"(透析患者)のための会社(団体)を立ち上げた」"サクセスストーリー"で

「透析患者の武勇伝」を深掘りすることの

プラス材料は"賑やかし効果"でしかなく(ライターは"それ"が欲しかったんでしょうが…)

他の透析患者にとって、特に

「先天的」(※医療専門的には不適切な表現かもしれませんが)に腎不全、透析に至った患者にとっては

まさに「百害あって一利なし」。

そもそも、当該記事

ターゲットとした読者層は、どこだったんでしょうか?

甲は、「人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていく」ことをビジョンに掲げたウェブメディアで、記事では「自身や他者の可能性を広げて生きる」方々の事例を紹介しています。そのためどうしても取材をさせていただく方を検討するにあたって、その方の「可能性を広げて生きる姿」を起点に企画をつくり、フォーカスしている側面はあります。

(引用:某NPO法人からのメールより)

同スタンスを拝見すると、此度の記事ターゲット層を

「透析患者/非透析患者」

を分けているようには見えない。ただ、このことは

様々な領域を網羅するメディア側の姿勢として不自然さはない。

>「人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていく」こと

>「自身や他者の可能性を広げて生きる」方々の事例を紹介

する一例として

「透析となった"障害者"が同じ"障害者"(透析患者)のための会社(団体)を立ち上げた」"サクセスストーリー"は

「アリ」でしょう。

しかし

・現在、透析療法で苦しんでいるCKD患者、特に私のような
「先天的」に腎不全に至った患者様の心情に与える負の影響と

・透析患者に対する負のイメージを、多くの"健常者"が抱く危険性

とを敢えて侵す必要があったのか。

物語の装飾に意識が奪われ、上記「負の影響」までは、想定していなかったと

推察せざるを得ない。

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まとめ

thanks,

医の領域、それも患者サイドを

完全なる非当事者が描くこのと難しさは、お察しします。

症状、治療経過は患者それぞれ。

一つの「病」「治療」を記事にすれば

最大公約数的な物言いになるのは、ある意味致し方ない。

また、取材過程で

患者本人からの「言葉」を引き出せても

患者本人の、事実や心情を言語化する能力が乏しければ

書き手側がそれを、周辺情報から推察するしかない。

患者本人が、無意識的に事実や心情を「美化」して表現する場合もあり得るが

メディアサイドが勝手に修正するわけにもいかない。

難しい…

一方で

どんなに綿密な取材で情報を集めても

患者本人からの「言葉」を引き出せても

ただシンプルに、情報一つ一つを紡ぐだけでは

読み手を感動させる「ストーリー」には、残念ながらならない。

メディアが(ライターが)"主人公"のストーリーを「起・承・転・結」

美談として最高のフィナーレを迎えるため、一度"落とす"のは

テクニックとしては「アリ」。

「挫折」「苦境」「悲しみ」等々

"落ちた"主人公が、それら苦難を乗り越え、ハッピーエンドへ向かう…

その過程を描く材料が、具体的事実であると読者は分かり易いが

一方で、書き手としては、多少の「パンチ」は必要でしょう。

お察しします。

でも、でもですよ

やはりそこは「医」の領域、人の「命」を扱う領域

非常にセンシティブな領域なわけです。

>症状、治療経過は患者それぞれ。

>一つの「病」「治療」を記事にすれば

>最大公約数的な物言いになるのは、ある意味致し方ない。

しかし、作品を世に出す時、今一度見返して頂きたい。

「あそこの"パンチ"は、必要か?」と。

2020年末時点の透析患者総数、347,671人

「透析」

その言葉だけはご存知の健常者の方が多いかと思います。

しかし、このことが

「"正しく"透析をご理解しているか?」

というと、否と言わざるを得ないでしょうし

イチ透析患者の立場からは

生活上、一切「透析」と関係ない健常者方々に

「透析のことを、もってしっていただきたい!」

とは、とても言えないし、それはただの思い上がりだ。

とはいえ、メディアがペンの力で、不必要な

透析並びに透析患者へ対する「負」のイメージを植え付けるのは

何卒、ご遠慮頂きたい。

約1年にも渡り、私から

時に辛辣な言葉を浴びせられた某NPO法人には

気の毒な思いはございます。

ただ、病気の当事者が声を上げなければ

健常者にはわからない情報は、ある。

甲編集部/担当者様各位に、私の気持ちを理解して欲しいなどと、おこがましい思いはこれっぽっちもございません。
「社会的マイノリティの人々」ここでは人工透析患者に関する皆様の認識(データベース)が「0」から「1」になれば

(引用:某NPO法人へ向けた私のメールより)

引き続き、不特定多数の人間が目にする作品群を世にご提供するであろう

某NPO法人様におかれましては

こと「透析」領域に関しての認識は「0」から「1」にはなったかと。

今後の益々のご活躍を祈念して…

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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