在宅血液透析(HHD)では、
全ての手技を患者自身で行います。
よって、透析中なんらかのトラブルが生じても、
患者本人が、
その時その時の状況に応じて、
適切な対処をする必要があります。
しかし、もし、
患者本人が透析中、気を失ったら・・・
施設血液透析(CHD)では、
透析中、患者が気を失うことは、珍しくはないでしょう。
患者が気を失っても、
スタッフが適切な処置を施してくれるので、安心。
でも、
在宅血液透析において、
患者本人が気を失ってしまっては、
誰がそれに対する処置を行うのでしょう。
その意味で、在宅血液透析では、
透析中の気絶は、できれば避けたいトラブルであると言えます。
そんな透析中の気絶を、
私は一度犯しております。
その反省と、
もう二度と起こさない、との自戒の念を込めて、
【在宅透析でのトラブル】在宅血液透析で「気絶」は避けたい
気絶した一番の要因
透析中、私が気を失ってしまった最大の要因は、
血液透析経験の浅さ
ではないかと、今は思います。
車の運転を長い年月していれば、
誰でも一度や二度、
事故する一歩手前でヒヤッとする経験、あると思います。例えば、
右左折の際サイドミラーを確認せず、
後方からくるバイクや自転車と接触しそうになる、とか。
でも、これ、
一度経験すれば、二度と起こさないようにと、細心の注意を払うようになり、
結果、事故を起こす可能性はグッと減ります。
在宅血液透析のトラブルも、これと同じではないか、と。
このブログでは何度も申し上げておりますが、
私の場合、
腎保存期での生体腎移植手術、つまり移植手術前の血液透析の経験がありません。
透析中の身体の変化については、
- 血圧が下がる
- 下肢がつる
など、書籍やネット情報では知っておりましたが、
- 血圧が下がる時、身体にはどんな変化が生じるのか?
- 下肢がつる時、身体にはどんな変化が生じるのか?
実体験がないので、
自身の身体と対話する上で大切な、
感覚のデータベースが、ありませんでした。
これが、一度気を失うという経験をすると、
気を失う前の自身の身体の変化をデータとして蓄積しているので、
事前に手を打てるわけです。
透析中、気を失った日・・・
兆候
気を失ったのは2014年の5月。
実際この年は、
気を失う以前から、透析中の気分不快が続いていました。
当時の気分不快は、
特に上半身がムズムズするというもの。
非常に鬱陶しくて仕方ありませんでした。
しかし、当時の自分は、
この鬱陶しさは、血液透析を行ってれば少なくとも出てくる症状ではないか
と思うところもあり、我慢していました。
そのムズムズ感が出ると、
透析中使用するリクライニングチェアで横になる姿勢が億劫になってきます。
リクライニングチェアを離れ、
無理やりリクライニングチェアの足元、地べたに座り込んだり横になったりして、
ムズムズが落ち着くの待っていましたが、
あまり効果はありませんでした。
気を失った、その瞬間
さて、
実際気を失った当時を反芻してみると・・・
まず、いつも通り、上半身のムズムズが始まりました。
リクライニングチェアの背もたれを起こしたり、
その場に座り込んだり、地べたに寝そべったり。
しかし、状態はあまり変わらない。
リクライニングチェアの足元に座り込み、うずくまっていると、
まず、目の前がチカチカしてきました。
次に、頭の中が少しスーッとする感じがしてきました。
決して気分の良いものではありません。
いつものムズムズ感より
一段階上がった感
が確かにしました。
しかし、透析は止めませんでした。(これがいけない・・・)
その後です。
目の前がチカチカしていた視界が、
段々と遠くなっていきました。
手先の感覚も、ない。
この時点でさすがに
「ヤバい!ヤバい!」
となり、気持ちの余裕はほぼ無くなっております。
動悸も激しくなってきました。
いよいよ透析を止めようとは思いましたが、
時すでに遅し。
程なくして視野が狭くなり、意識が飛びました。
自分の中では気を失っているのは一瞬で、
しかしそれが短時間、
覚醒と気絶を2,3回繰り返したように記憶してます。
在宅血液透析は全て自己責任。
どんなトラブルでも、
人を当てにせず自分でなんとかしなければいけない、と
導入当初からそこは強く意識していました。
したがって、僅かに覚醒している間、
真っ先に頭をよぎったのは
「自分がしっかりしなきゃ」ということ。
ただ、その気持ちとは裏腹に、
思うように行動がともなっていかない。
完全に覚醒した後でも、
依然視界は狭く、目はチカチカ、
酸欠状態なのか手先もあまり感覚がない。
そんな中思ったのは
「返血しなきゃ!」ということ。
朦朧とはしてますが、返血すればこの状況を変えられると思ったのでしょう。
地べたに座った状態からなんとか上体を中腰にし、
透析機械ディスプレイの「停止」「血液回収」ボタンをなんとか押し、
感覚の無い手で鉗子を持ち、
鉗子でピロー下の血液回路を挟み、
クレンメを開け生食を開通させ、血液ポンプボタンを押す。
ピロー内の血栓を飛ばし流したらポンプを止め、
止めていた鉗子を外し、動脈側回路内血液を体内に戻します。
動脈側回路内血液を戻しきったら、回路末梢部に鉗子をかけ、
血液ポンプボタンを押し、回路内全体の血液を体内に戻してやります。
これだけの操作を、意識朦朧としたなかで一人で行いました。
気持ちが切れそうな自分を奮い立たせる意味で、
「自分がしっかりしなきゃ」と口にしてた記憶があります。
返血により、
身体がジワーっと温かくなるのを感じ、
徐々に視野も広がっていきます。
余裕はありませんが、先のことをイメージすることはできる状態に。
返血が全て終わり抜針、止血後、
リクライニングチェアを離れ、近くに敷いた布団に移動し、
足を挙上した状態で横になりました。
意識はだいぶしっかりしてきてはいますが、
バイタルは依然低血圧、頻脈の状態。
時折水分を摂取しながら、しばらく横になり、
小一時間後やっと落ち着きました。
その時、周りの状況は
私が気絶-覚醒を繰り返し、
状態が危うい時に、妻が119番に電話してくれました。
状況説明をしてくれていましたが、
その間、返血をし、少しずつ落ち着きを取り戻したこともあり、
妻に「大丈夫」と声をかけ、
救急車のお世話になることは避けられました。
瞬間どんな様子だったか、
気を失っている時間はどれくらいだったか、
本人、意識が飛んでいるので分かりません。
周囲にいた妻と母の話では、
徐々に唇が変色し、
一瞬白目を向いて後ろに倒れたそうです。
妻と共に一部始終を見ていた母ですが、
実はこの時の記憶が、一瞬飛んでしまったようなのです。
私が落ち着いたのを見届け、自分の部屋のある一階へ戻りました。
その後完全復活した私が妻とともに一階へ行くと、
先に起こったことが全く覚えていないのです。
「ほら、気失ったじゃん!」といっても「なんのこと??」といった感じ。
結局、順を追ってゆっくり説明していたら、徐々に思い出した様子でしたが、
あれは一種の❝解離性健忘❞と言われるものなのでしょうか。
確かに、母曰く、
白目向いて倒れた息子の姿を見て、一瞬「死んだ」と思ったらしい・・・
まとめ
2015年
シャントが閉塞し、その状態で無理やり透析を試みた際も、
目の前がチカチカして、頭の中が少しスーッとする感じになり、
一瞬記憶が飛びました。
が、この時は前回の経験が活きたのか、
対処も速く、大事には至りませんでした。
在宅血液透析を導入する際は、
必ず介助者を置きます。しかし、
その介助者の役割については、
各管理医療機関によって、スタンスが異なるようです。
介助者も、患者と同様のトレーニングを課すところもあれば、
私のところのように、
全て患者一人で行うことを前提としているところもあります。
ただ、個人的に思うのは、
患者は、
在宅血液透析をすると決めた以上、
介助者の役割云々は別に、
全て患者本人の責任
との覚悟を持って、
毎日の透析に向かうべきです。
一瞬の慢心で重大な事故を起こしたら、
在宅血液透析そのものが出来なくなるかもしれません。
そうなったら、問題は、
自分自身だけでなく、
全国約800人の在宅血液透析患者にも及ぶことになります。
未だマイノリティである在宅血液透析(HHD)を、
未来永劫続けていくためには、
関係する医療従事者だけでなく、
患者一人一人の責任と覚悟が必要であると、
私は思います。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。