62.9%
これは、
腎臓移植における、
10年生着率の値。
(日本臓器移植ネットワーク
この値が高いか低いかは別問題として、
移植腎は、いずれは廃絶し、
患者は透析へ移行する
患者にとっては酷ですが、これが現実。
私は、それを現実として経験しております。
そこで今回は、
私が腎移植患者から透析患者となった経緯と、
【慢性腎臓病患者の心理】私が腎移植患者から透析患者となった経緯と、その当時の心情を振り返る
急性心膜炎
2013年
2月のある日の夕方。
突然、強い胸痛に見舞われ、
その痛みは継続的に続きました。
自宅から生体腎移植を受けた大学付属病院はやや距離があるので、
近くにある違う大学付属病院の緊急外来へ向かう。
痛みを抱えながらストレッチャーに乗せられ、レントゲン室へ。
仰向けになろうと、側臥位になろうと、うつ伏せになろうと、
痛みは変わりません。
レントゲン室から外来処置室に戻り、点滴を投与。
腎移植後であることを伝えているので、
痛み止めは使わず、おそらく電解質であったと思われます。
小一時間は経ったころか、若干痛みが和らぎ、
緊急外来に常駐していた医師の話を聞く。
曰く、原因は分からん、と。
入院するか聞かれましたが、
翌日、生体腎移植を受けた病院へ行く意思を固めていたので、
そのまま帰宅することに。
その夜もスッキリはしませんでしがた、少しばかり寝ることは出来ました。
そして翌朝になると、また強い胸痛が。
病院の泌尿器科外来へ電話。
症状を伝えると、ちょうど他の移植担当医がいるとのことで、
そのまま病院へ向かいよう指示される。
とても自分では運転できる状態ではないので、運転は母に任すことに。
到着後、外来処置室のベッドで横になり、
その場で採血と心電図を計測。
小一時間したであろうか、
移植担当医とともに来られた循環器医師から、病状を伝えられる。
血液検査と心電図の波形から、恐らく急性心膜炎であろう、と。
そのまま入院。今回の病棟は腎内科病棟ではなく循環器病棟。
見慣れないスタッフのため一抹の不安を感じましたが、
程なくして、お世話になっている移植コーディネーター兼看護師さんの方が顔を見せてくれ、ホッと一安心。
その夜は、朝まで胸痛が続きました。
前日の夜同様、どんな体位をとっても、その痛みは静まることはありません。
一応、痛み止めは処方されてはいるものの、
移植腎保護のため、強い薬は服用できません。
処方されているカロナールを飲むが、全く効果はありません。
一晩中眠ることなく、ベッド脇に座って
「ウッー・・・ウッー・・・」唸ってました。
今となっては何の薬を点滴投与されていたのか忘れてしまいましたが、
その効果もあり、少しずつではありますが、痛みは落ち着きを見せます。
CRPがかなり高かったと記憶してますので、
恐らく抗炎症薬や抗生剤であろうか、と。
翌日以降は、都度心臓エコーで状態を確認。
心膜に貯留していた心膜液も、
日に日に少なくなっていくのが分かります
ただ、
CRPがなかなか正常値まで下がらない。
熱も若干あったので、サイトメガロウイルス感染症の疑いから採血を行うことに。
そのころには、胸部の痛みは殆どなくなり、
熱が下がれば退院できそうであったが、
サイトメガロウイルスの検査結果はそれなりの日数を要するため、しばし待ち。
結果陰性であることと、熱が下がったことを確認し、退院の運びとなりました。
腎機能低下
急性心膜炎で負った代償は大きかった。
腎機能が一気に低下してしまったのです。
心臓と腎臓は循環器という意味では仲間。
「心腎連関」という言葉もあるとか。
心臓(心膜)に異常が見られると、そこから血液を供給される腎臓にも影響がある、という。
事実、急性心膜炎での入院当初から、クレアチニン値がはね上がってしまいました。
Cr値の上昇を、一過性のものであってくれ、と思いましたが、
思いとは裏腹に、
その値は徐々に上がっていきました。
透析導入へ
急性心膜炎で入院したのが2月のあたま。
退院後、3月時点で、
ある腎移植チームの医師から「透析」の話が出ました。
それまで無意識に遠くへ置いていた「透析」というものが、
急に現実味を帯びてきました。
生体腎移植をしたとて、その移植腎が一生もつわけではない。
生着率の値も見れば一目瞭然。
その事実は手術当初からわかっていたことでありますが、
もしかして、ずーっとこのまま平気なんじゃないか、と
根拠のない自信みたいなものが、ありました。
しかし現実は、データ通り。
2002年末に生体腎移植手術を受け、
2013年、その時点で約10年が経過している。
10年生着率62.9%であることを考えれば、
この時点での移植腎廃絶、透析導入とうのは、無い話ではない。
自分は62.9%の患者であると思ってましたがね。
実際に、透析の話を聞くと、悪あがきをしたい気分になりました。
またパルス療法やったら、どうか?
また血漿交換やったら、どうか?
医師達の答えは、渋いものでした。
そんな中、主治医はちょっと違った。
免疫抑制剤を変えてみよう、と。
結局5月に透析導入となってしまったわけですが、
最後まで諦めず、手を尽くそうとしてくれた、その姿勢に、
当時の自分は幾らか気持ちが救われました。
残念ながら、免疫抑制剤を変えたが状況は変わらず。
その年の5月中旬、シャント造設、
血液透析となりました。
まとめ
長く苦しい透析生活。
長い待機期間を経ての腎移植。
そのような腎移植患者が、透析を再導入する時の気持ちを考えると、
いたたまれなくなる。
私の場合は、腎臓保存期での生体腎移植。
長く苦しい透析生活を経ないで腎移植手術を受けた身なので、
彼らに比べたら、私の気持ちなど、たかが知れているか、と。
透析が現実味を帯びたあの時期、
主治医が、最後まであきらめない姿勢を見せてくれたのは、
透析を再導入する腎移植患者全般の胸の内を知って、
私に接してくれたのでは、と思い、
今でも感謝してます。
私の場合は非常に恵まれていて、
当時、非常勤で大学付属病院にいらした医師が、
自身のクリニックで在宅血液透析を行っており、
私の主治医も、そこの相談役的なポジションで関わっていました。
そんな縁で、
透析の話といっても、
最初から在宅血液透析を導入する形で、
話を進めることができました。
当時、主治医の紹介で、
在宅血液透析の話をしてくれた非常勤の医師が、
今お世話になっているクリニックの医院長です。
私はつくづく、
医師とのご縁には恵まれているな、と思います。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。