生前の母と、何度となく交わされた"人生会議"で
母が亡くなった場合の葬儀社をどこにするかは、決まっていた。
しかし、結論から先に申し上げると
母が亡くなった此度は、葬儀社を
初動では、予め決めていた葬儀社(I社)に連絡したものの、途中で他社に変えました。
理由はシンプル
「担当者の対応が悪かったから」
自分以外の他の方が、同担当者の"対応が悪い"と感じるかは、不明。
ただ、当該担当者の対応が"私には"合わなかった、ということ。
2016年に、父ががんで他界。その際に任せたのが「I社」。
特に意味はない。
昔から地元では「葬儀といったらI社」というだけ。
ただ、実際
父が亡くなった"初動"から、通夜・告別式に至るイベントを
一手に担ってくれた(コーディネートしてくれた)当時の担当者様の働きぶり
そこからにじみ出る「転ばぬ先の杖」がごときお心遣いに
大そう感謝したものです。
一般的に言われてることとして
大切な家族を亡くした直後に、葬儀社を選び葬儀社への連絡をするというのは
残された者にとっては、非常に酷な仕事である、ということ。
先述した通り、我が家では
母が亡くなった直後に連絡する葬儀社は「I社」と決めていたので
スマホに事前登録してあったI社へ、ただ連絡するだけだった。
ここで一つ
私が、葬儀社を「I社」から他者へ鞍替えした
その理由に大いに影響した"バックグランド"のお話
私が喪主として、その後のイベントに関する打ち合わせをする際に
"懸案事項"があったことを、ご紹介しておきます。
それは、菩提寺のご住職との「関係性」です。
(先に結論を申し上げますと、私の抱いていた"懸案"は取り越し苦労だったのですがね…非常に感じの良いご住職でした💦)
我が家の菩提寺は、その地域では非常に格式高いお寺。
そして、そのお寺のご住職というのも、非常に格式がお高いんでしょう。
しかし、その"お高さ"ゆえの?ご住職の立ち振る舞いが、正直苦手でした。
平たく言うと、その態度が横柄だったんですね(横柄に私どもには感じられた)。
お寺に我が家の墓があり
毎年会費を支払い、先祖の法事を(そのお寺に)執り行っていただいている、という点で
我が家は当該お寺の、いわゆる「檀家」なのでしょう。
ただ、一口に「檀家」といっても
非常にご熱心な「檀家」もいれば、そんなでもない「檀家」もいるでしょう。
我が家は、後者の「檀家」。
祖父母の代のことは分かりませんが
私の父母の代では
年会費以外の、いわゆる「お布施」と称した各種寄付等は、していなかったと記憶している。
そのことを知ってか知らずか(※ここからする話は、あくまで推測ですが…)
父が亡くなった2016年の「四十九日の法要」の際の、"当時の"ご住職の談話では
非常に遠回しに「お布施は納めないとダメよ」といったニュアンスが含まれていた
(と、参列した親族皆、同様の認識でした)。
ここまで申し上げた背景からくる、我が家と菩提寺との「関係性」ゆえに
母が亡くなってから、通夜・告別式に至る過程で想定されるご住職との打ち合わせは
葬儀社を介した"間接的"なものを、希望しておりました。
勿論
例えば、「戒名料」であるとか「お布施」の金額等の取り決めに
葬儀社のような第三者が介入することなく
当事者同士(我が家とご住職)で話し合われることが"通常である"ことは知っていましたが
そこをなんとか、こちらの事情
我が家と菩提寺との「関係性」のみならず
私の現在の体調(透析患者)も考慮して
葬儀社担当者には、うまく折衷案で"落として"いただきたい、というのが要望としてあった。
話を先に進めましょう。
母の死亡が訪問医師により確認された直後に
私は躊躇なく「I社」へ連絡を入れました(時に夜中2時頃か)。
対応は迅速であったと思います。
当直の方でしょうか、我が家に来訪し「枕飾り」をセットして下さいました。
「今後のことについては、別の担当者が後程参りますので、その時にお話下さいませ。」
此度の担当者は、「枕飾り」をセットして下さった方ではない、別の方であるようだ。
「2016年の父の時に担当して下さった○○さんに、お願いしたいのですが」
こちら側の担当者の希望を要求したが、曰く
残念ながら、○○さんはその日(母が亡くなった1月10日)はお休みとのこと。
○○さんではない、別の担当者になるとはいえ
事前情報として、来訪して下さった方(「枕飾り」をセットして下さった方)に、上述した話を伝えた。
我が家と菩提寺との「関係性」のみならず
私の現在の体調(透析患者)も考慮して
葬儀社担当者には、うまく折衷案で"落として"いただきたい、というのが要望としてあった。
お話した際の、当該担当者の反応が、やや"渋い"のが気にはなったが
葬儀社I社への信頼、いや!
葬儀社I社の「2016年、父が亡くなった時のご担当者様」への信頼(会社ではなく「個人」のへの信頼)
2016年、父が亡くなった時には、○○さんが「遺族に寄り添う」ご対応をしてくださり
うまく折衷案で"落として"くれた、という実績への信頼から
此度の担当者と思われる方の来訪(当日の午後1時)を待つことにした。
「枕飾り」をセットして下さった方が帰った、その後の動きを細かく時系列でお話すると…
とにもかくにも、菩提寺には
母が亡くなったことを伝えなければならない、詳細は別にして。
したがって、お寺には直接電話は入れました(その時応対してくださったのは"ご住職"の奥様か?)
そして、お寺に電話した旨を、葬儀社に伝え
葬儀社がお寺に電話し"打ち合わせ"をする算段でしたが…
ところが!ところが
午前9時頃、菩提寺のご住職から、直接の電話あり。
「打ち合わせをしたいから、"いついつ"にお寺に来て欲しい」と。
あれ?話が違うぞ?
「葬儀社ご担当者様と午後1時に打ち合わせを予定しており
こちらの要望を全て葬儀社担当者様にお伝えして
その内容をご住職にお伝えするとの話になっているのですが…」
「まあ、それならそれでいいんだけど…(葬儀社から)連絡はあったが
火葬の日にちしか言わないから、こちらとしては何をしていいかわからない」
ご住職の仰っていることは、至極ごもっとも。
とはいえ「話が違うな」と、すぐさま葬儀社I社へ連絡をした。
自らが担当だという方が電話に出られたのだが
その彼の対応が、私に「(葬儀社を)変えよう!」と決心させた。
「お寺との打ち合わせは、お客様が直接する“ことになってる”」
「特に檀家は皆、直接お寺にいく"ことになってる"」
上記長々とご説明したこちらの事情には、一切といっていい程耳を傾けず
「○○ということに"なっている"」
との一点張り。
その、あまりに"ビジネスライク"な対応
"遺族に寄り添う"姿勢が微塵も感じられない、その対応が
「この人には、とても頼めない」との確信に変えた。
この時点で、葬儀社ごっそり変更するとのあたまはなかったが
電話口の同担当者に
「貴方のご対応は、あまりに"ビジネスライク"で"遺族に寄り添う"姿勢が感じられない」
「申し訳ないが、担当を代えて欲しい」とお願いし、一旦電話を切った。
>葬儀社からごっそり変更するとのあたまはなかった
ものの、電話を切った瞬間から
「I社である必要はないよな。I社じゃなきゃ!との理由もない。他社に鞍替えするのも"あり"か?」
との考えがよぎった。
さて、葬儀社を変え、新たに見つけるとなると、少々面倒くさい。
とはいえ、あと数時間後(その日の午後1時)には、私を不快な思いにさせたI社が家に来てしまう。
なんとかそれまでに、「I社キャンセル→他社への鞍替え検討中」との道筋をつけたい。
躊躇、逡巡している暇はないのは百も承知であるが、それでもやはり慎重になる。
実は、我が家の近隣には、複数の葬儀社がある。
これ!という"決め手"は、特にないのだ。
そうこうしている間に時間は瞬く間に経ち、午後1時、I社の"担当者"が我が家に来訪してきた。
"担当者"と但し書きをしたのは
午後1時に来訪した方は、新しい担当者というわけではなく、深夜に「枕飾り」をセットして下さった方。
私としては、先の電話でのやりとりで抱いた貴社への不快感と
今一度、遺族側の要望を伝えた。
しかしながら、どうも深夜の時同様、反応は"渋い"。
それもそのはず。
その方は、言うなればただの"使いっ走り"。曰く
2016年の父の通夜・告別式を担当した「Y」が(今日は休みだが)明日伺う旨を伝令しに来ただけ。
今となっては、少々不毛な時間ではありましたが
「I社キャンセル→他社へ鞍替え」
を決心するには、十分なやりとりでした。
もうその時点で、躊躇はありません。
自宅周辺にある複数葬儀社の中から、これ!という"決め手"は特にないが
「なんとなく、ここかな?」で、とりあえず電話。結局そこが
此度の母の各種イベントを一手にコーディネートしてくれた「S社」。
「S社」にして、本当に良かった!
どれほど、「S社」の対応並びにコーディネートが素晴らしかったかは
改めて別記事で、ご紹介させて下さい、ここでは割愛。
大切な家族を亡くした直後に、葬儀社を決める、葬儀社担当者と打ち合わせをするというのは
遺族、特にそのタスクを一手に担う喪主の負担は大きい。
事前に決めていた葬儀社と、すんなりことが進めば、その負担も最小限だろうが
此度のような想定外のことが生じると、シンドイもんです。
そう何度もある"任務"ではないので
「今後のために、良い経験だった」
なんてこと、とても言えませんが…
「こんなことも、ある」という事実を、オウンドメディアでご紹介することは
無駄ではないな、と思い、お話させて頂きました。
最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
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