今回は
"移植コーディネーター"
についてのブログ記事を書こうと思います。
キッカケは
- "もろずみはるか/(IgA腎症)夫婦間腎移植"さん
- "Orange Kaori@夫婦間生体腎移植"さん
両名が運営する『腎臓生活チャンネル』さんのツイート👇
生きるための選択。重い決断だからこそ移植コーディネーターさんを頼った日々 https://t.co/o5PJbjBa73 @YouTubeより
— 腎臓生活チャンネル (@fBvwPKPguvhQeOT) December 25, 2020
移植コーディネーターにフォーカスしたYouTube動画をアップされており
そちらを拝見させて頂いたことに起因します。
そこで思い出したんですね
私自身が大変、大変お世話になった"移植コーディネーター"の方のことを。
2013年に移植腎が廃絶してしまい、同年に在宅血液透析へ移行したことで
当然ながら、コーディネーターさんとお会いする機会は無くなってしまいました。
幸いにも
腎移植主治医とは、今もシャント管理のため数カ月に一度外来でお会いできているので
間接的に同コーディネーターさんの話は耳にするのですが、その度に
移植腎保存期にお世話になったことへのお礼を、十分しきれていないことを悔いるんですね。
そこで、ご恩返しの意味も込めまして
移植医療に関わりの無い一般の方々には、おそらく馴染みが薄い
移植医療における"移植コーディネーター"にフォーカスした記事を投稿しようと思った次第です。
今回の記事を書くにあたり、参照及び引用元となった文献は下記の通り。
- 『わが国における認定レシピエント移植コーディネーターの誕生』Organ Biology 18 巻 (2011) 3 号(一般社団法人 日本臓器保存生物医学会)
- 『認定レシピエント移植コーディネーターの役割と意義』Organ Biology 20 巻 (2013) 1 号(一般社団法人 日本臓器保存生物医学会)
Table of Contents
【患者と医療従事者】レシピエントにとって『移植コーディネーター』は"調整役"を超えた存在
認定レシピエント移植コーディネーターとは
ここで私が移植コーディネーターと申し上げている"職種"、正確には
"レシピエント移植コーディネーター"
といいます。
移植医療では
患者が移植を希望した段階から、移植後遠隔期も含め
継続した医療の提供が必要とされます。さらに
臓器不全状態から周術期、移植後の免疫抑制状態にある患者の長期ケアといった
さまざまな状況にある患者を対象とすることから分かるように、移植医療のプロセスは複雑
それゆえに「チーム医療の実践」が求められるわけです。
このような特殊な医療状況下で確立された職種が"レシピエント移植コーディネーター"。
『認定レシピエント移植コーディネーターの役割と意義』によると
"レシピエント移植コーディネーター"は
移植の全過程に関わり、患者・家族への移植の意思決定支援や、円滑な移植過程の実施のための連絡・調整、チーム医療を実践するためのチーム内でのコミュニケーションの促進、移植後の生活指導や医学的管理を継続的に行うべき役割を担っている。
2011年から、"認定"レシピエント移植コーディネーター制度が開始され
同年10月に54名のレシピエント移植コーディネーター(RTC)の方々が
"認定"されました。
※私がお世話になった方は、この内のお二人。
患者から見て感じた"認定レシピエント移植コーディネーターの役割"
レシピエント移植コーディネーターの役割として、大きく4つを提示されています。
- 患者・家族への移植の意思決定への支援を含む心理的・社会的問題の評価と解決への援助
- 移植全過程における移植チーム内の円滑な連絡・調整
- 患者・家族に対する移植前・移植後における継続した指導・教育
- 患者・生体ドナーの長期継続した医学的フォローアップ
上記4つの役割と、私の経験とをすり合わせみようかと思います。
1.患者・家族への移植の意思決定への支援を含む心理的・社会的問題の評価と解決への援助
母をドナーとした生体腎移植手術を私が受けたのは
今から約20年前の2002年末。
移植前の私は心身ともに疲弊しており、自分で自身の方向性を定める余裕はありませんでした。
そんな私を見かねた母は、自分がドナーとなることを決意
首都圏内で生体腎移植手術を施行している病院を"アポなし"で訪れ
その病院に、そこの医師に「自分の息子を任せて良いか否か」を
自分の目で確かめて回りました。
当時(今でも)断トツに腎移植実施件数が多い都内大学附属病院で
メディアにも取り上げられるほどの"名医"にもお会いしたそうです。
が、直接お会いしてお話した時の印象は、決して良いものではなかったようです。
「それ位のクレアチニン値なら、10なんてすぐだよ、すぐ」
「手術?いいですよ、すぐ連れてきなさい、やりますよ」
これはあくまで私の母の印象であり、他の方にとっては文字通り"名医"だったのかもしれませんが
少なくとも当時の母は
「この病院、この医師には、息子を任せられない」
と思ったようです。
そんな中、出会ったのが
実際に移植手術を行って頂いた移植医、そして"移植コーディネーター"さんでした。
医師はもちろんのこと、母と面談して下さった当時の移植コーディネーターさんが
本当に親身になって相談に乗って下さったそうです。
先の、都内某大学附属病院より腎移植実施件数は劣りますが
「この病院、この先生に任せよう!」
と、すぐに母の決意は固まったようです。
認定レシピエント移植コーディネーターの理念には…
臓器移植を希望する患者や家族に対しては、専門的かつ総合的医療知識をもとにして、移植医療全般にわたる適切で具体的な情報を提供し、移植医療の選択を考慮する患者や家族の自発的な意思での決定を援助し、患者や家族を擁護する存在として機能し、移植医療の公平性、透明性の向上に資する存在となる。
と示されておりますが、当時は
認定レシピエント移植コーディネーター制度が開始された2011年より、ずっと遥か前
担当移植コーディネーターさんは同理念を実践し、特に
患者・家族への移植の意思決定への支援を含む"心理的"問題の評価と解決への援助
をするに優れた方だったんだと思います。
2.移植全過程における移植チーム内の円滑な連絡・調整
ここは正直、患者側には見えない部分です。
患者の前で見せる笑顔の陰では
移植医療チームの内外を円滑に調整するため、日々ご尽力されているんだと思います。
ご参考までに、先にも登場した「認定レシピエント移植コーディネーターの理念」の一節をご紹介させて頂きます。
臓器移植実施に際しては、移植医療チームの要となり、習得した臓器移植の専門知識を活かして臓器移植プロセスの円滑なコーディネーションと移植医療チーム内の円滑なコミュニケーションを促進し、安全な移植医療の実践を支える存在であるとともに、いかなる時でも円滑な臓器移植の遂行が可能となるように常に施設内の体制の整備に力を注ぐ存在となる。
3.患者・家族に対する移植前・移植後における継続した指導・教育
「指導・教育」というと、"トップダウン型"のような印象を受けますが
実際は、全くそんな風に私は感じませんでした。
患者と"同じ目線で、同じ気持ちで"いてくれているんだ、と今でも覚えていることがあります。
移植手術前日、移植コーディネーターさんから一通のお手紙を頂きました。
そこには
「明日は私も手術に同席させて頂きます。一緒に頑張りましょう」
とありました。
今と違って、術前に十分な情報があったとはいえず
何やら得体の知れないモノに臨む心境だった私の心が
少しばかり落ち着いたこと、覚えています。
4.患者・生体ドナーの長期継続した医学的フォローアップ
移植実施後の患者に対しては、継続した生活全般の指導と管理ならびに精神的支援を通して患者の全身状態を常に把握し、医師に適切な情報を提供することによって医師と患者や家族の橋渡し的存在として機能することで、移植医療成績の向上に資する存在となる。
(「認定レシピエント移植コーディネーターの理念」より)
- "精神的支援"
- "医師と患者や家族の橋渡し的存在"
2002年末の移植手術から2013年移植腎廃絶までの間、ずっと
私の中の"精神的"な拠り所として、そして"医師との橋渡し的存在"として
ご尽力頂きました。
もはや"橋渡し的存在"ではなく
コーディネーターさんによって"解決"してしまうこと、多々ありました。
移植腎廃絶までの間、私の入退院はかなりの数に及びました。
急性拒絶反応、サイトメガロウイルス感染症、血漿交換、好中球減少症
そして、急性心膜炎。
移植腎廃絶の決定打となった急性心膜炎での入院では
"管轄"は泌尿器科ではなく「循環器内科」でした。
入院病棟も"住み慣れた"泌尿器科病棟では当然なかったこともあって少々不安でしたが
移植コーディネーターさんは、毎日一度は、私の病室に顔出しに来てくれました。
私は、外来時はもちろん、入院時でも採血結果はプリントアウトしたものを頂いておりまして。
それを知ってるコーディネーターさんは、毎回、採血結果を届けてもくれました。
入院前時点で既に脆弱になっていた移植腎機能が
急性心膜炎によって更に悪化している様は、Cr値を見ても明らか。
気落ちする私の話を思いを、親身に聞いて下さいました。
退院の目途がなかなかたたず不安な入院生活ではありましたが
コーディネーターさんが病室へ来て下さるときは、ほんの一瞬、気持ちがホッとしたもんです。
まとめ(改めての謝辞)
私がお世話になった"レシピエント移植コーディネーター"さんは
IさんとNさん。
私が移植手術をした2002年末頃
"レシピエント移植コーディネーター"という職種にとっては未だ黎明期だったのかもしれませんね。
事実、『認定レシピエント移植コーディネーターの役割と意義』にも
レシピエント移植コーディネーターは、1990年後半ころから、海外に留学した移植外科医が、移植医療には移植プロセスの調整や患者ケアを行うクリニカル移植コーディネーターが必要と認識し、個々の施設で独自に雇用がはじまった。
とあります。
Iさんが、某医療協議会発起に際しての"ご挨拶"に、ご自身のこれまでを振り返り
❝私は1991年より献腎、生体腎移植を希望される患者様に腎移植のご説明や相談を行ってきました。❞
とありましたし。
術後数年間、イチ患者である私の目に映る範囲内では
「Iさん、お一人で頑張ってらっしゃる」
という印象でした。
そこからNさんが加わり、外来時や入院時といった患者の"目に見える"部分で
Nさんとの関わりが主となっていきました。
免疫抑制剤を服用するレシピエントは、常時"易感染状況"下にあります。
主治医からは
「小さなことでも、何かあったら連絡して」
と言われておりました。
とはいえ、そこは大きな大学附属病院ですから
"おいそれ"と電話して先生に繋いでもらうことは、なかなか難しいもんです。
そんな中、頼りになったのがNさんでした。
電話は通常、総合案内から泌尿器科外来へ繋いでもらいますが
どんなにお忙しい状況でもNさんは、速やかに折り返しの連絡を下さいました。
そんなNさんに甘える形で"頼り過ぎた"きらいもありますが…それでも
「体調に何かあっても、Nさんに連絡すれば、なんとかしてくれる」
との安心感が、移植腎保存期での私の支えでした。
先にTwitterで、下記のようなツイートをしました👇
移植から約5年経過した頃コーディネーターさんに「俺、移植したから短期でも海外留学したいんだよね」と話したら「行った方がイイよ。私もこの仕事に出会って"海外で勉強したい!って思って(海外)行ったから"」と。その言葉に背中を押されてのロンドン1ヵ月短期留学。あの時間は私の財産になりました。
— 腎生を善く生きる@在宅血液透析(HHD)8年目突入‼️ (@7hYpoVO5tzfBVtn) December 25, 2020
先述した「認定レシピエント移植コーディネーターの理念」にある
単なる"継続した生活全般の指導と管理"に留まらず
"人生の大きな一歩"を踏み出す勇気も、Nさんからは頂きました。
冒頭に
2013年に移植腎が廃絶してしまい、同年に在宅血液透析へ移行したことで
当然ながら、コーディネーターさんとお会いする機会は無くなってしまいました。
と述べましたが、細かい話をすると実は、数回お会いすることはありました。
それは2014年下半期。
実質的な臓器としての機能を果たせないでいた移植腎でしたが、若干自尿は出ていました。
そんな中、突然移植腎の入っている右腹部に違和感、そして血尿。
在宅での血液透析をする度に38℃を超す高熱が出るといった症状に、悩まされました。
結局、移植手術をした大学附属病院を受診、CT検査を行い
移植腎に若干の血流があったことによる"広い意味での拒絶反応"ということで
抗生剤服用、幸い状態は落ち着きました。
お陰で?それ以降は無尿となり、移植腎は完全に廃絶するに至りました。
そんな状況でしたが、外来時に久しぶりにNさんと面談できたことは幸運でした。
それほど長い時間ではありませんでしたが
在宅血液透析導入から約1年間を報告、Nさんもニコニコしながら私の話に耳を傾けてくれてました。
今ではHHD導入から8年弱経過しておりますが、当時はまだ1年足らず。
在宅血液透析に対して「頑張らないと!!」と、少々気負っていた部分がありました。
そんな私にNさんは
「透析中、少しでも気分が優れなかったら止めていいんだよ、翌日でもいつでも(透析)できるんだから、それが在宅のイイところなんだから」
今では当たり前のことと認識していることではありますが、当時の私はこのNさんの言葉で
かなり"救われた"思いがしたこと、覚えています。
Iさん、Nさん
改めて
これまで色々、ありがとうございました。
急性拒絶反応、サイトメガロウイルス感染症、慢性拒絶反応、好中球減少症、急性心膜炎…
切れそうな気持が"切れず"に、都度都度おとずれる困難に立ち向かえたのは、お二人のお陰。
どれほど気持ちが軽くなれたことか。
私に献腎移植の順番が回ってくるのは、随分先の話ですが
それまで、現場にいて下さいよ😋
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
腎不全チーム医療協議会 http://www.kicos.jp/
腎援隊 https://jinentai.com/