前回、春木繁一氏が提唱する
「透析導入が必要となったCKD患者のたどる心理的プロセス」
をご紹介しました。
※参考書籍 春木繁一氏書「サイコネフロロジーの臨床」
この心理的プロセスは、図を見てもわかるように
慢性腎臓病患者が腎代替療法を
「受容」するまでの過程を示しています。
私の場合、二つの腎代替療法を、つまり
- 生体腎移植
- 血液透析
時間軸をずらして経験しておりますので
二通りの"受容プロセス"を経験しているわけです。
前回の記事が
「透析導入直前」から「長期透析期(15年以降)」までを概観したのに対し
今回は
「透析導入(生体腎移植含む)」までのプロセスのみにフォーカスして
【透析患者の心理】透析導入が必要となったCKD患者のたどる心理的プロセスの"雛型"に、自身の経験を照らし合わせてみる
「透析導入(生体腎移植含む)」までのプロセスに関し
私自身の経験を紹介する"雛型"として
今回別の参照資料を利用させて頂きます。
参照資料
腹膜透析を選択する患者の受容過程のカテゴリーとサブカテゴリーの説明
(引用元:一般社団法人 日本看護研究学会)
今回の参照資料である「透析療法選択に対する患者の受容過程」は、その副題
─ 腹膜透析を実施している患者をとおして ─
とあるように
"腹膜透析"を選択した患者の受容過程を明らかにすることを目的としています。
1998年に血液透析の原疾患として"糖尿病性腎症"が第一位となり
今後、同疾患による透析導入患者の増加が予想されるとした前提のもと
"腹膜透析"を研究の中心とした理由として下記のような記述がございます。
糖尿病性腎症の患者はその合併症による心機能低下や内シャント作成とその後の管理の困難性から、循環動態の変動が少ない腹膜透析の選択がますます予想される。さらに、在宅での実施による時間的束縛や食事・水分制限が穏やかで生活に支障が少ないという利便性からも腹膜透析を選択する患者の増加が予想される。
(引用元:日本看護研究学会雑誌 2011年度34巻5号)
私は腹膜透析はおろか、通院での血液透析をも経験せず
在宅血液透析(HHD)を導入したCKD患者です。
そんな私の現体験を同研究報告内の"雛型"に照会するのは如何なものかと思いますが
"腹膜透析"とある部分を"在宅血液透析"と読み替えても
本テーマ趣旨に大きな支障はないかな、と。そこでこちらの便宜上
後述する見出しは"腹膜透析"部分を"在宅血液透析"の語に置き換えています。
もちろん修正や追加説明が必要な部分はしっかり補足して参ります。
さらに、もう一つの腎代替療法である"生体腎移植"に関しては
時間軸は出来るだけパラレルにしながら
"生体腎移植"ならではの受容過程をご紹介してまいります。
導入前期
現在の腎機能の認識不足と加療中の安堵感
- 専門医受診と透析療法の必要性の認識不足
- かかりつけ医受診中の安堵感
- 疲労が腎機能悪化と理解
(❝かかりつけ医受診中の安堵感❞は個人的には該当しないので省きます。)
専門医受診と透析療法の必要性の認識不足
👆前記事で
生体腎移植手術の主治医との出会いが、私の人生を救ってくれた。
この、生体腎移植手術の主治医との出会いを引き寄せたのは
ドナーである母の尽力の賜物である。
とご紹介させて頂きましたが
初期も初期
大学4年次で「慢性糸球体腎炎」と診断された段階においても
母の動きは的確かつ迅速でした。
大学で行われた健康診断の結果を受けて市内の某病院を紹介されたのですが
尿たんぱくとクレアチニン値の結果を見た母はすぐに
「大きい総合病院に行った方がいい」と判断。
なぜ、そこの判断が母に出来たかというと
私の祖母、つまり母の実母が透析患者だったから。
クレアチニンの基準値が理解出来ていたんですね。
したがって、まだ学生であった私自身は
"専門医受診と透析療法の必要性の認識不足"ではありましたが
母の判断のお陰で、この早い段階で都内の総合病院
そこの腎内科に受診することが出来ました。
受診し医師から受けた診断結果が「慢性糸球体腎炎」だったわけです。
とはいえ、まだ20代前半
そこから数カ月に一度程度の頻度で通院、検査で経過観察。
今見ると、クレアチニン値は徐々に上昇していると分かりますが
私自身は高強度の運動も行えていましたし
自分の腎機能が低下しているという危機感は、正直ありませんでした。
母は危機感あったみたいですけどね。
しかし、20代半ば以降
疲労と浮腫みを顕著に感じるようになり
本格的な「食事制限」と「運動制限」が始まりました。
「食事制限」は2002年生体腎移植まで
その前3年間が一番"厳しい"ものでしたが、私は"厳しい"とは思いませんでした。
全ては母の献身的サポートのおかげ。
たんぱく質/塩分を厳しく制限するあまり味気無くなりがちのメニューを
「食品成分早見表」を片手に毎日バリエーションに富んだ美味しい食事を提供してくれました。
疲労が腎機能悪化と理解
ショックだったのは「運動制限」。
本格的な厳しい「食事制限」「運動制限」は腎移植手術前約3年間でしたが
"緩やかな"「食事制限」「運動制限」は、もちろん行っていました。
その過程で、思うように身体を動かせられないことへのショックは、大きかった。
スポーツを"すること"は、私の生活の一部でした。
大学の体育会に所属するアスリートであるだけでなく
専門種目外のスポーツ、例えばサッカー、テニス、ゴルフなど
生活を豊かにしてくれていたのが「スポーツ」でした。
そのスポーツ"すること"を、言うなれば奪われたわけです。
少なくとも当時の私はそう感じていました。
ショックでしたね。
実は将来、スポーツに携わる仕事をしたいとの思いがありました。
競技者としては大学で引退しましたが、裏方としてスポーツに携わりたいと。
「スポーツトレーナー」を目指すべく
当時勤めていた会社を辞め、理学療法士の専門学校に通ったことも。
今思えば、当時の自分は冷静は判断力を持ち合わせていませんでした。
そりゃそうですよ、理学療法士の肉体的業務負荷は大変なものでしょうから
腎不全患者ができる仕事ではない。(※やられている方いらっしゃったら、ごめんなさい)
春木繁一氏が提唱する
「透析導入が必要となったCKD患者のたどる心理的プロセス」
「ショック」~「いらだち」の過程。
私の経験則では、その順序は異なりますが
会社を辞め、理学療法士の専門学校に通うという判断をしていた当時の私の心理状況は
運動出来ないことへの「ショック」と
その事実を認めたくない「否認」
思うような絵を描けないことの「いらだち」から
誤った判断を次々してしまっていました。
私の身体の状態を冷静に的確に把握していた母とは
その当時、よくぶつかりました。
距離を置くため、しばらくの間、友達の家に寝泊まりした時期もありましたね。
結局、理学療法士の専門学校は1年で退学。
その後少しずつではありますが、現実を受け入れるようになり
腎不全で身体が思うように動かない前提で
勤務時間も体調優先で流動的に対応してくれる会社で
しばらくご厄介になることになります。
急変による透析療法の必要性とその認識
- 現疾患の安易な認識による急変
- 症状出現から透析療法選択の必要性の認識
ここは
「生体腎移植」と「在宅血液透析」とに分けで記述したほうがよさそうです。
生体腎移植
疲労感、浮腫み等の症状が出現してからは
❝現疾患を安易に認識❞するようなこと、私はありませんでした。
しかし、腎機能は悪化の一を辿るいっぽう。
そんな中
母が「生体腎移植」という選択肢を提示してくれました。
転院の際の医師とのゴタゴタについては前記事の
"患者に逆切れする医師"
でご紹介しておりますので、そちらをご参照下さい👇
腎保存期での生体腎移植。
今思えば、人生の"Big Event"だったわけですが
「腎臓移植」そのものについて、さらにそれが
「生体間」であることについて
当時はあまり深く考え込むことはありませんでした。
この点も、母のお陰。
生体間腎移植の場合、レシピエントもさることながら
ドナー側にのかかる肉体的・精神的負担は大きい。
一度はドナーとなる決意を固めるも、その後
手術までの間に、深く思い悩むドナーも多いと聞きます。
私の母は、自分がドナーとなることに
一片の曇りもない"ように"見えました。
母の真の心理状況は知る由もないですが
「息子のため」との強い意志が
あらゆる不安要素を払拭させていたと推測されます。
在宅血液透析
徐々に低下する移植腎の機能に致命傷を与えたのは
「急性心膜炎」です。
突然の胸痛
息を吸っても吐いても痛い、仰向けになってもうつ伏せになっても痛い。
外来処置室で血液検査と心電図検査を行った結果
循環器内科医の診断は「急性心膜炎」、即入院。
移植腎の残存機能を考えて、強い痛み止めは服用できず
そのため入院したその日は朝まで激痛が続くことになります。
都合入院期間は約2週間。
この間に移植腎が負ったダメージは大きく機能は更に低下
透析が現実味を帯びてきたわけです。
当時の心境としては
「否認」から「諦め」そして「受容」へ
といったところ。
「生着率」という概念は、もちろん認識はしていましたが
希望的観測、願望の念もあり
「一生(移植腎)大丈夫でしょ!」と考えていました。
そう思い込もうとしていた、というのが正しいでしょうか。
その移植腎が廃絶する、自分が透析となる…
そんなことあり得ない、と事実を「否認」する思い。
しかし、それを知ってか
私の主治医は、最後の最後まで手を尽くしてくれました。
そんな主治医と話を重ねるうちに、そして
"在宅血液透析"を知ることで透析を
「受容」
していきました。
導入直前期
"在宅血液透析"の説明とその選択の緊急性の理解
- 腎の残存機能から"在宅血液透析"適応の理解
- "在宅血液透析療法"の理解
「生体腎移植」「在宅血液透析」共通しているのは
腎代替療法について能動的に理解しようと努めたこと。
これだけ聞くと"メンタル強いな"と思われるかもしれませんが
自分の置かれた状況に対する「諦め」の結果なんですね。
いわば"まな板の鯉"
- 自分の身体にメスが入ることも
- 自分自身で腕に針を刺すことも
恐怖のなにものでもないですが
そのことに不安を覚えたり恐怖心を抱いても、状況は変わらない。
やるしか道は無いわけですから。
腎臓を喪失したことを「受容」する、とは聞こえはいいですが
それほどポジティブなものではなく
止む無く「受け入れた」というのが正解です。
"在宅血液透析"選択の影響要因
- 医師の"在宅血液透析"を勧める理由
- 透析療法の知識不足による不安
- 血液透析の日常生活へのマイナスイメージ
- 身体的負担と時間的拘束が少ない"在宅血液透析"のイメージ形成
- 医療者の"在宅血液透析"のわかりやすい説明とそのサポート
これも「生体腎移植」「在宅血液透析」共通しているのは
机上で学んだことと、実状は全然違った、ということ。
「生体腎移植」では術前に
- 手術そのものについて
- 術直後について
- その後の拒絶反応、感染症について
医師・看護師からの説明の他、自分自身でも勉強はしましたが
実際は、想像していたものを遥かに超えるもの。
「在宅血液透析」においても
"自己穿刺"と言葉で表記するのは簡単ですが、最初にトライした時は
この字ずらから感じるもの以上の恐怖感が全身を覆いました。
でももう「諦め」てますから「受容」してますから
どんなに怖かろうが、逃避したいという心境にはなりませんでしたね。
"在宅血液透析"の自己決定
- 自宅でできる療法
- 病院への通院条件
在宅血液透析導入8年目。
「諦め」「受容」の心境でスタートしたHHD生活。
最初の数カ月は、毎回の手技を正確に行うことに必死
その後は手技そのものには慣れ、徐々に透析頻度も多くなり
今では毎日、在宅で血液透析をすることが当たり前。
しかし、その「当たり前」という心境が
昨今のコロナ禍によって一片しました。
自宅で血液透析が出来ることが、どれ程恵まれているか。
厳しい自己管理、全て自己責任
在宅血液透析は確かに大変、誰でもができる医療行為ではありません。
ただ、ことコロナ禍においては
全透析患者の殆どを占める通院血液透析患者さんが
感染リスクに曝されている現状を見聞きすると
自分の現状に感謝するわけです。
まとめ
こうして改めて
自分が腎代替療法を「受容」する二つの過程を辿ってみましたが
我ながら「色々あったな」と…
不安の渦中にいる時は、自力で這い上がることはなかなか難しい。
自力で這い上がった"ように感じる"のは、常に支えてくれた周囲に人々のお陰。
人との出会いは財産となる。
病気になったことは、確かに「不幸」なことではありますが
それら全てを含めて今の自分がある。
そんな人生を振り返り、我ながら「結構イイ人生(腎生)じゃん」と思える「幸せ」。
この「幸せ」を情報として発信し、それが
一人でも多くの方が善く生き、悔いのない人生を送るための一助となることの「幸せ」。
「幸せ」の輪が小さいながらも広がるよう、微力ながら頑張ろう。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。