はじめに
生体腎移植をするも、その移植腎を約10年で失った立場としては
巷に流布し、世論の形成に"一役かってる"
「生体腎移植 ドナーとレシピエントの愛と絆の物語」
的な美談に、正直辟易する。
この"やるかたない"気持ちを、ある種「炎上覚悟」で
自身のYouTube等で意識的に発信し始めたの昨年。
直近では
上述した、私の生体腎移植でドナーであった母が、今年の1月に亡くなったこともあり
毎日、在宅血液透析する私が、無意識的に「腎移植」について考える時がありました。
そんな時、3月の在宅血液透析外来がありまして
そこで主治医に、思い切って聞いてみたわけです。
「ぶっちゃけ、どうなんです?」
(腎移植の成功事例、"美談"が目に付く現状って、どうなんですかね?)
在宅血液透析に関する通常の診察、薬の処方の話が終わった後
都合30分以上だったでしょうか
相当で貴重な時間を割いて、先生は私の話に、真摯につきあってくれました。
本当に、本当に貴重な話が聞けました。
結論から申し上げますと
"胸のつかえが下り"ました。
先生のプライベート満載の話もあり、そこは当然割愛するとして💦
今思い出すかぎり、大きく3つにテーマはわかれるかなと。
- 医療機関HP等の情報は、あくまで腎移植の"導入"的意味合いである
- "導入部分"でわざわざネガティブな話を持ち出す必要性はないのでは?
- 「移植医療は崇高なものである」くらい、話を"盛る"くらいが、ちょうどいい?
各論
医療機関HP等の情報は、あくまで腎移植の"導入"的意味合いである
医療機関のHPを見ると、腎移植そのものについての説明の他に
「患者の体験談」がある場合があります。
しかしその「体験談」はイコール「"成功"体験談」であって
腎移植手術直後に移植腎を失ったり
その後数年の後、慢性拒絶反応で移植腎を失った患者の「体験談」は
ほぼ無いと言っていいでしょう(※全ての医療機関HP見たわけではないので、断言できませんが…)
なぜ?
先生曰く
大前提として
医療者側は、腎移植医療のネガティブな情報を隠そうとの意図は、全くない、ということ。
医療者側は、患者(移植希望者や手術後の患者含め)には
腎移植にはメリット・デメリットがあることを、必ず提示する、と。
その上で、なぜ
医療機関HP等には、腎移植患者の「成功体験」しか紹介されないのか?それは
医療機関HP等と役割は、あくまで腎移植医療の「導入(イントロダクション)」であるからではないか、と。
"導入部分"でわざわざネガティブな話を持ち出す必要性はないのでは?
例え話として…
腎移植医療に関する説明会があったとして
患者の成功体験談(患者の美談含む)の後に、わざわざ壇上にあがり
ネガティブな体験談を言う必要性はありますか?ということ。
せっかく
参加者・視聴者が、腎移植の成功体験(美談)を聞いて"イイ気分"になっているところを
「私は10年後に移植腎を失いました」
「私は腎移植手術を受けましたが、夫婦中は悪いです」
などと言って、誰得ですか?という話。
「移植医療は崇高なものである」くらい、話を"盛る"くらいが、ちょうどいい?
"「移植医療は崇高なものである」くらい、話を"盛る"くらいが、ちょうどいい?"
これが今回、先生から聞いた話で、一番"腑に落ちた"話。
透析医であり腎移植医である主治医だからこその見方でしょうが
同じ腎臓病の領域でありながら、「透析医療」に比べて
「腎移植医療」は、なにか"崇高なもの"との認識が
内外にあるのでは、と。
でも、それぐらいが"丁度いい"と。なぜか?
世論というのは、移ろいやすい。
瞬く間に、極端に"右から左"へ変わることもある。
腎移植医療についていうと
腎移植手術を決断したレシピエント・ドナー双方が
批判的な目を向けられることは、避けなければいけない。
自分も腎移植の当事者として
献腎移植の機会を待つ身としては
腎移植すること、腎移植をする人間に対して
世論が批判的な目で見る流れは、決して好ましくはない。
したがって、多少話を"盛っておく"位が、ちょうどいい。
「余力があった方がいい」「"あそび"があった方がいい」とも言えますかね。
例えていうなら…
大学受験で、第一希望はあくまで東大!そこを目指して勉強する
結果として、早慶に合格する、みたいな感じ?
まとめ
>医療機関HP等の情報は、あくまで腎移植の"導入"的意味合いである
>医療機関HP等には、腎移植患者の「成功体験」しか紹介されない
と先述しましたが、こうも仰ってました。
医療者側からは、なかなか、移植腎廃絶患者に経験談を聞きづらい、と。
なるほど…
残念ながら移植腎を失ったとしても
その後の人生が好ましくないものになる、とは限らない。(今の自分もそうですが)
過去の辛い時期を乗り越え、前向きに
今まで以上に、充実した日々を送っている患者も、勿論いらっしゃるでしょう。
そんな彼ら彼女らに対し、医療者側から"辛い過去をほじくり返す"のは、如何なものか。
移植した腎臓を失ったという事実は
移植した腎臓が順調に生着している患者を「成功者」とすると
その対比として「失敗者」のレッテルを貼ることにもなりかねない。
医療者側も、当然本意ではないし、患者サイドも
「何?今更そんなこと聞いて、どうすんの?!」
と感じる患者もいるだろう、したがって
医療者側からは、なかなか、移植腎廃絶患者に経験談を聞きづらい、と。
なるほど…
一方で、先生曰く
医療者側からは、移植腎廃絶患者の経験を、確かに聞きづらいが
患者側から能動的に発信することは、非常の貴重だ
メディアを通じて、自己の経験を発信することは、良いことだと思う、と。
現在
"在宅血液透析及び腎移植に関し、それを経験した患者目線のLIVE感ある情報を発信"
している身としては、引き続き
自己の経験の事実描写、自己の経験から感じたことを
ストレートに表現、発信することには、一定の意味があるなと、改めて思いました。
加えて、今回、主治医に
自分のある種"鬱憤をはらし"てみて感じたのは
「患者の思いを発信する(吐き出せる)場は、やはり必要だな」ということ。
事実
主治医に自身の思いをぶつけ、それに主治医が応えてくれたことで
ここ数年感じていたモヤモヤが、いくらは晴れたのは事実。
些細なことだが、非常に有効。
「場」は、医療者と患者といった「診察室」でなくてもよい
今の活動を通じて、私が今回体感したのと同じような感覚を
悶々とした思いを抱えている他の患者さんが
一人でも感じられる、そんな「場」を提供できたらな
と、強く思った次第です。
[su_box title="広告" style="soft" box_color="#1962fb"]
自著『在宅血液透析患者のリアルー導入から8年、透析回数2000回までの軌跡』
Amazonストアにて、絶賛発売中!!
【価格】
Kindle版:¥350(Kindle Unlimited会員:¥0)/ペーパーバック:¥825
英語翻訳版『Reality of Home HemoDialysis』
Kindle版:¥540(Kindle Unlimited会員:¥0)
[/su_box]