在宅血液透析に限らず、病気やその症状、治療法等は、患者それぞれ千差万別。
結果、「医療者」側が発信する情報の中身は
- 最大公約数的"なもの
- 複数の物事や事例から共通点を見つけ、これらを統合して結論を導くのが帰納法"的"なもの
に、どうしてもならざるを得ないと思われるが
"それ"こそが、医療者には求められていること、ともいえる。
一方、私(イチ患者)が発信する(できる)情報は、ただ一つ
"経験談"
これに尽きる、と私は思っている。
とはいえ、この
"経験談"
も、「話し手」の"さじ加減"によって、如何様にも
読み手、視聴者への見え方を変えることが、できる。
>変えることが、できる。
と思っているだけで、私は
オリジナルにできるだけ着色は加えたくない"派"だ。
格好良く言えば「ど真ん中ストレート勝負!!」
しかし、ストレート一本では
「患者による広義医療情報発信」の世界では、正直戦えない。
YouTubeでの"惨敗"が、それを物語っている。
医の素人が「医療者」に求めるのは、正確な「医療情報」、これ当たり前。
医の素人が同じ素人「患者」に求めるのは、正確な「経験談」…
では、どうやらないようだ。
素人が素人(患者)に求めるのは、"物語"。
挫折、苦しみ、悲しみの涙、愛、友情、絆、歓喜の涙…
ピンチの主人公が、ハッピーエンドへと向かう"ストーリー"を求めているようだ。
生体腎移植を経験した患者の1人として
在宅血液透析を経験する患者の1人として
「そうそう、"感動ヒストリー"なんて、落っこってねーよ!!」
と、私は思うし、実際、日常に"愛"だの"涙"だのといった
ノンフィクション作品を構成する要素は、そうそう転がっちゃいない。
だから、私が自身の「経験談」を形にする場合は、シンプルな"事実描写"となる。
でも、今の世の中、それじゃ、不満みたい。
- 「涙が止まりません」
- 「勇気をもらいました」
いとも簡単に、他人の事象を見聞きして
涙がとまらなかったり、勇気をもらったりする人間が多い、今の世の中。
そんな世間が、医の領域で非医療者(患者)から求めるものは
面白くも可笑しくもない、ただの"事実描写"じゃ、ない。
それじゃ、「ウケない」。
- 「もっと泣かせてくれよ!」
- 「もっと感動させてくれよ!」
私には大変な無理難題なことを
いとも簡単に「美談」を語れる患者は、「患者による広義医療情報発信」の世界には、多い。
そんな彼等と、"同じ土俵"で戦っては、勝ち目はない。
現時点で、勝ち筋を全く見いだせていないが
私は私のやり方で。
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