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在宅血液透析 腎臓移植 透析全般

【患者と医療従事者】腎保存期/腎移植期/血液透析期~それぞれで出会った"印象に残った"医療従事者のご紹介

2020年8月26日

hospital,medical,doctor,nurse,

最近は

「アンサング・シンデレラ」なるドラマの影響で

薬剤師に注目が集まっているようで。

(SNS上ではドラマに関し賛否両論あるようですが)

腎保存期から2002年の生体腎移植手術

移植腎廃絶後の2013年からの在宅血液透析

その間、薬剤師のみならず

多くの医療従事者の方と接する機会がありました

幸運な出会いもあれば

不愉快な出会いまで

記憶をたどりながら

私が出会った"印象に残った"医療従事者を、エピソードどともにご紹介します

注意

くれぐれも誤解なさらないで頂きたいのは

特定の職業を貶める意図は全くありません。

あくまで私の実体験をお話するだけ

ここに登場する"トンデモ医療従事者"はマイノリティで

殆どの医療従事者が

患者のために日々ご尽力されていることを信じております

【患者と医療従事者】腎保存期/腎移植期/血液透析期~それぞれで出会った"印象に残った"医療従事者のご紹介

医師

doctor,

素晴らしい医師とのめぐり合わせに感謝

2002年生体腎移植手術から

2013年在宅血液透析導入、そして現在まで

医師との出会いには恵まれてきたな、という印象です。

生体腎移植手術の主治医との出会いが、私の人生を救ってくれた

と言っても過言ではないと思ってます。

この、生体腎移植手術の主治医との出会いを引き寄せたのは

実はドナーである母の尽力の賜物なのです

腎機能低下が著しく、いよいよ透析がチラついてきた頃

生体腎移植という選択肢を提示してくれた母。

そこから母は

首都圏内の著明な腎移植医への"アポなし訪問"をしたのです。

当時メディアでも取り上げられるような"名医"と言われる某大学病院教授とも面会。

手術をすること自体になにも支障はなかったのですが

母の中で

「この人には息子を任せられない」

との感覚が働いたようです。

平たく言うと、その医師は"名医"らしくふんぞり返って

「いいよ、やってやるから連れてきな」的な言動だったそうです。

その後いくつかの病院を訪ね回り、かの主治医と出会った訳です。

実は、在宅血液透析に関する現在の主治医も

広い意味で、上記腎移植主治医のチームの一員でして

移植腎廃絶→透析というのが現実味を帯びてきた時

在宅血液透析のクリニックを開業している現在のHHD主治医へ

スムーズなバトンパスが可能だったわけです。

施設血液透析を経ずに在宅血液透析への道が開かれたことは

私にとっては幸運でした

患者に逆切れする医師

生体腎移植主治医との幸運なめぐり合わせの一方で

腎保存期に診て頂いていた医師とは

非常に残念な別れ方をしました

生体腎移植をするということは、転院することを意味します。

腎保存期の主治医は当時

腎保存療法に関する多くの著書を出すほどの、いわば"名医"。

その彼からしたら他への転院などいう行為は

"無礼千万"

だったわけですね。

転院に必要な診療情報提供書等をなんとしてももらう必要があったので

診察室内での激しい叱責に、ただ耐えるだけでした

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看護師

nurse,

これまでに不快な思いをした看護師がいないか

記憶を巡らすのですが…

思い当たるような方はいませんでした。

それほど

これまで出会った看護師の方々にネガティブな印象はありません

記憶として強く残るのは、どうしても自分がシンドイ時、つまり

私の場合は生体腎移植手術を受けた時。

術後身体が思うように動かない私に対し

皆親身に看護して下さいました。

むしろ、患者である私の方が

拒絶反応、サイトメガロウイルス感染症などで長期化する入院生活で

ストレスフルになり、看護師さんに少し当たってしまったことも…反省。

ヘルパー(番外編)

これは番外編。

入院生活する患者の治療以外の生活全般をサポートする

ヘルパーさん(呼び方はそれぞれかと思いますが)が、どこの病院にもいらっしゃるはず。

生体腎移植手術2日後に行われたMRI検査。

病室からMRI検査室まで、車椅子に乗って移動することに。

私の搬送を任された、とあるヘルパーさん。

術後たった2日目ということで、まだ身体の至る所に管が繋がれており

当然自力で起き上がったり立ち上がったりは出来ない状態。

肉体的にも精神的にも疲弊していた私

そんな私を乗せた車椅子を猛スピードで搬送するヘルパーさん

絶叫マシンなんてモンじゃない。

身体に繋がれた管が車椅子の車輪に絡まるんじゃないか

振るい落とされるんじゃないか

なにより

視界から見える猛スピードで変わりゆく周辺景色に

もう目が回りそうで、パニック起こしそうになりました

看護師長さんには事後報告(相談)。

後に分かったことでは、色々と問題のあるヘルパーさんだったそうですが…

そんな事情、患者側は知る由もないですから…ちゃんとして下さい。

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薬剤師

pharmacist,

医師を頂点とする医療従事者内のヒエラルキーでは決して高くない薬剤師

(上述ドラマでそのような描かれ方をされていたので…)

「薬剤師不要論」なんて言葉も耳にします。

私自身は当該ドラマを全て見ているわけではありませんが

薬剤師にフォーカスした原作マンガがあったり、それがドラマ化した背景には

月並みですが

"薬剤師の地位向上"

との意図があるように、勝手ながら推察してます。

ただ、私の実体験をお話させて頂ければ

残念ながら

薬剤師の方々に対し、ポジティブな印象は持てていません

その理由は数々の"トンデモ薬剤師"に遭遇しているから

無意味なやり取りを繰り返す薬剤師

過去の薬剤師との不毛なやり取りをツイートしたところ

ありがたいことに、下記のようなコメントを頂戴しました。

上記に限らず

院外薬局窓口での薬剤師との不毛なやり取りは数え切れず

当の薬剤師サイドからすれば不毛ではないのでしょうが…

これまで多くの薬剤師と接してきて思う私なりの"優れた"薬剤師像は

患者各々が薬剤師に求めているコトを察知し理解して対応を都度変えられる人

特に

患者と窓口対応が多い院外薬局ではその素養が求められるかな、と

その点においては"サービス業"で求められる素養に近いかと思うのですが

  • 薬剤師としての自分の理想や使命感が強過ぎる人
  • 薬学知識に絶対的自信があり患者に対しマウント取る人

このような方は常に対患者で主導権を握ろうとするので

患者が"今"薬剤師に求めているコトは何かを先ずキャッチしようする

受動的姿勢がとれてない気がします

ましてや"サービス業"で求められる素養などと言ったら

俺は(私は)薬剤師だ!

と怒られそうですが…

腎移植知らなさすぎ薬剤師

下記も以前したツイート

専門は薬学でしょうが、医療従事者の一人として

医療全般を広く浅くでも押さえておく必要はあるのではないでしょうか

このケースは特別"おバカ薬剤師"だったのかもしれませんが…

患者が聞きたいことと

患者に言わなくていいこと/患者が言って欲しくないこと

とを線引きする能力

薬学専門家とはいえ人と対面する以上、プロとして身についていて欲しいところ。

あなたが言う"新しいの"に当たるまで、こちとら20年弱待たないといけないんですよ!

おっと、少し取り乱してしまいました。

❝自己決定権は、薬局のカウンターにまで届いている❞

小松美彦氏「「自己決定権」という罠 ナチスから相模原障害者殺傷事件まで」

の中で、薬剤師に関する"ブラックユーモア"(著者曰く)な記述がございますので

ご紹介します。

かなりの人が順番待ちをしている混雑した薬局の待合室の中で、ある中年女性の番が回ってきて、カウンターに呼び出されました。すると、係の人が薬を手にして、何種類かある薬の服用上の注意や効能などについて、とても丁寧な説明を始めたのです。

インフォームドコンセントは、今では誰でも知っている常識ですから、そのこと自体は別にめずらしいことではありません。しかし、そのときの係の人は、たぶん職務に忠実で真面目な人だったのでしょう。丁寧なのはよいのですが、いささか声が大きすぎたのです。

おかげで、中年女性の婦人病に関するとてもわかりやすい説明が、しんとした待合室中に、朗々と響くことになりました。雑誌をめくりながら退屈して待っている人たちに、中年女性の身体の状態が、手にとるように伝わってしまったのです。

まるで冗談のような話ですが、これなども、自己決定権にもとづくインフォームドコンセントを、杓子定規に受け取る傾向があるために起きた、硬直した、笑えぬ逸話の一つなのかもしれません。

(引用元:小松美彦氏「「自己決定権」という罠 ナチスから相模原障害者殺傷事件まで」)

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臨床工学技士

cannulation,dialysis,

在宅血液透析導入のためのトレーニングを契機に

その後の私のHHD経過を看て下さってる"技師さん"。

いつも親身に耳を傾けてくれて、ありがとうございます。

緊張感のない臨床工学技士

初めてのVA(バスキュラーアクセス)造設、初めての血液透析。

HHD導入トレーニングに臨む前2週間

腎移植手術をした同じ大学病院に入院し

そこで4回ほど血液透析を行いました。

最初に血液浄化センターへ入室した時は

あの独特な雰囲気で、全身に緊張が走りました

当該技師ですが

こちらの気持ちを知ってか知らずか、いつもヘラヘラ。

透析室内では"リーダー的地位"の人らしい。

スタッフ間では「気さくな人」と捉えられているようで、終始和やかな雰囲気。

しかし、その和やかな雰囲気とやらを

患者の前まで持ち込んで欲しくはないですよね

緊張と緩和を柔軟に切り替えられる人ならよいですが

当該技師は、穿刺ミスをしても「気さく」なまま

VA造設したてで、まだ静脈血管が育っていないので

穿刺が難しいのは理解しますが…

内出血でみるみるシャント肢前腕が腫れているのに、抜針せず

「全然(血)引けないな~」と

既に血液ポンプが回る中、駆血ベルトで上腕を駆血し始めたのです。

「あ~少し引けるね~」じゃねーよ!!

結局ドクターが来てくれて抜針、別の場所へ再穿刺。

その夜、腕は当然の広範な内出血。

こちらのケースも、先述した薬剤師のケース同様

患者各々が求めているコトを察知し理解して対応を都度変えられる

そんな素養が必要ではないでしょうか

レギュラーで通う透析患者と

VA初造設、初透析患者と

対応を変えろ、というのは無理な要求なのでしょうか?

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管理栄養士

Nutritionist

腎保存期に何人かお会いすることはありました。

ただ、自分にとって有益だったかと言われると、正直難しい

というのが本音、ごめんなさい。

プロスポーツ選手が管理栄養士の栄養指導のもと

パフォーマンスが上がったという話はよく聞きますが

その場合は

毎日のメニューを管理栄養士が考える、若しくは

選手自身で用意した食事を毎日管理栄養士がチェックする、といったように

指導の継続性・連続性があって効果が表れる類のもの、と勝手ながら推察してます。

その点、慢性腎臓病患者への管理栄養士の栄養指導

少なくとも私の時代、私の場合は

どうしても2~3カ月に1回の外来時に、栄養管理指導室で話を聞く程度。

おそらくですけど

現在は20数年前と違い、ネット環境やデバイス環境も違いますので

患者と管理栄養士との距離感及び指導メソッドも変わっていること期待します。

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移植コーディネーター

kidney,

冒頭に登場した腎移植チームの一員。

もう、感謝しかないです

入院中には、忙しい中病室へまめに足を運んで下さり

親身になってこちらの話にいつも耳を傾けてくれました。

退院してからの定期外来時でも

主治医との診察前後に話をする十分な時間を確保してくださいました。

急な体調不良で緊急な電話問い合わせをした際も

何度も折り返し電話をしてくれながら

こちらの不安を少しでも減らす努力を見せてくれました。

移植腎が廃絶し、HHD導入となったことでお会いする機会がなくなってしまったのですが

HHD導入2年でシャント肢血管閉塞でVA再造設手術を受けることに。

そこで久しぶりにお会いした際

「(透析は)キツかったらその日は止めていいんだよ、在宅は次の日やれるんだから」

との言葉をもらって、気持ちが一気に楽になりました

HHD導入から2年程度では

まだまだ透析そのものも落ち着かず(ドライウエイトが定まらなかったり)

それでいて「せっかくHHDやってるんだから」と

気持ちが少々意気込み過ぎていたところでの、シャント肢血管の閉塞。

精神的にやや疲弊していた時にかけられたのが、先ほどの言葉だったのです。

実は

腎移植主治医には今も診てもらっていて

移植腎は廃絶していますが、シャント肢血管の様子を2~3カ月に1回、外来で診てもらってます。

そうそうシャントに問題があるわけではないので、専ら私の外来目的は

抱えている悩みを聞いてもらうこと、になっております

その場でたまに聞く、先の移植コーディネーターさんの近況などを聞くと

気持ちがほっこりしますね。

ありがたいことに、今でも私のことをご心配して下さっているようで。

出会えたことに、感謝です

[su_box title="補足" style="soft" box_color="#10fd2c"]

『移植コーディネーター』について語るには、ここでは紙面が足りませんので

独立テーマとして記事にしております。

是非ご参照下さい👇

[/su_box]

coordinator,

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まとめ

thanks

メディアでは安易に

「是非、セカンドオピニオンを!」

と言いますが

  • 病院を変える
  • 主治医を変える

というのは、言うは易しで

患者には相当のパワーを要するということ

実体験を通じて強く申し上げたいと思います。

人は病気、症状が重ければ重いほど

色々な意味で"弱者"となります。

肉体的、精神的に弱っていくのに加え

必然的に医療の"パターナリズム"に組み込まれていく

医師に対して当然、医療に関する"情報弱者"である患者は

医師の治療方針に従わざるを得ない、というのが

メディアがどんなキレイごとを並べ立てたとて

それが現実

それでは「インフォームドコンセント」はどうか。

医師から十分な医療方針についての説明を聞き、納得した上で

患者自らが治療や処置を受け入れる決定を下す。

確かに聞こえはいいですが

患者自らが治療や処置を受け入れる決定を下した、つまり"自己決定"したとみなされ

ボール(責任)が医師から患者側に渡されることを意味しないだろうか

そう考えると

医師を含めた医療従事者との"出会い"がいかに重要であるか

その重要なファクターを"丁半博打"の如く運を天に任せるというのは

甚だ不憫な実態だ。

だからこそ私は余計に

生体腎移植で出会った主治医、移植コーディネーター

在宅血液透析の主治医との出会いに感謝し

心の底から「ありがとう」と声高に叫びたくなるのです

皆様にも

医療従事者との幸運な出会いが訪れんこと、切に願います。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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