先日、「献腎再診外来」へ行ってきました。
献腎移植を希望する者は、公益社団法人日本臓器移植ネットワーク(JOT)に登録していますが
年一回、移植手術を希望する移植施設で
登録更新のための受診が必要とされています。
2013年に臓器移植ネットワークに登録以来、これまで
「受診し忘れないように、"誕生日月"に受診」
私の誕生日月は「1月」に移植医による診察をうけていました。
実は直近では、昨年2023年の7月に、移植手術を希望している医療機関
私の場合は、2002年12月に母をドナーとした生体腎移植手術を受けた同大学病院にて
「献腎再診外来」を受診しています。
"年一回"であれば、次の受診は2024年7月でよいのですが
"誕生日月"受診の帳尻合わせで、今回1月に
前回の診察からスパンは短いですが、移植医の問診を受けてきました。
※なぜ前回、誕生日月ではなく7月に受診したかについては、大した話ではないので、ここでは割愛。
本来は、移植医との受診までに、必要な検査、例えば…
心臓エコー、腹部エコー、心電図、胃内視鏡(私の場合、今のところ2~3年に1回)検査等を受けておいて
それら検査結果を、透析の経過記録や直近の血液検査と合わせ持参するのですが
今回はイレギュラー(昨年の7月に提出済)
移植"医"、そしてコーディネーターさんと
来るべき移植手術に向けて、患者として「良好な関係性を築く」目的も"込"で、病院へ行ってまいりました。
前回の移植手術から20年以上も経過しているわけで
当然ながら、移植チームのリーダーや、コーディネーターさんも"代替わり"していますので
(全くゼロではない=面識はありますが)新たに彼等と、関係性を構築する必要は、ありますから。
今回も移植医からは、昨年7月の時同様
「(待機年数)10年超えて来れば、いつ(移植の機会が)来てもおかしくないよ」
とのお話を頂きました。
「平均待機年数、約15年」
2013年に移植腎廃絶、透析(在宅血液透析)導入、臓器移植ネットワークへの献腎移植登録してからは
「15年」という、途方もない待機年数の前に
正直、移植への実感を感じることは、ほぼありませんでしたが
「(待機年数)10年超えて来れば、いつ(移植の機会が)来てもおかしくないよ」
なんて話を聞くと
「もうすぐかも💗」と、期待せずにはいられません。
全く、人間は欲張りな生き物です…
一方で、今では「週6回」ほぼ毎日「在宅」で血液透析をする私。
諸々リスク(手術のリスク、拒絶反応のリスク、感染症のリスク等)を包含する「腎移植」を選択せずに
「在宅」での「頻回血液透析」を施行継続しては?という話は
医療者からもでるわけですが、そこはやはり、患者の立場としては
「1日でも早く、透析から離脱したい!」
という思いは強いわけです。
「在宅」で、ほぼ毎日「血液透析」を施行する、というのは
決して楽な所業ではありません。
それでも頑張って続けている、続けられているのは
「来るべき献腎移植を、できるだけ状態の良い身体で迎える!」
との強いモチベーションがあるから、もっと平たく言えば
「今の在宅血液透析は、来るべき腎移植のため」
と言っても過言ではないのです。
私が抱く「腎移植手術」に対する思いですが
透析未経験、つまり腎保存期で
親族の生体腎を移植した2002年12月の時と
移植腎が廃絶し、透析導入
在宅血液透析11年目の、今の私が「献腎移植」に抱く思いとでは
良くも悪くも、大きな違いはあります。
幸運にも、透析未経験で腎移植を受けられる機会を得ることができた当時の私には
「移植した腎臓は、未来永劫機能し続けるわけではない、つまり透析導入が待っている」と
頭では認識していても
腎移植手術の前段階で、経験則として、透析を体感していない立場では
「透析は、辛く苦しいもの」という理解は、所詮"机上の空論"でしかなく
そんなネガティブな要素は一旦棚上げして(意識下にもなかったかも)
新しい腎臓を得た後に待ってる"生まれ変わった自分(自分の人生)"に
ただただ期待していたように思います。
しかし、今度の「献腎移植」は違います。
在宅とはいえ、辛く苦しい透析生活を10年以上、経験してきた。
「やらなきゃ、死ぬ」
どんなキレイごと言ったって「やらなきゃ、死ぬ」という点で、透析は所詮"延命治療"だ。
そんな恐怖からは、一刻も早く離脱したい。
これは私の、心からの叫び。
一方で
「腎移植」が、キラキラした人生"のみ"をもたらすわけではないことも
移植腎廃絶という経験則から、嫌と言うほど知っている。
(※多分に個人的偏見が含まれています)移植医療の、巷でのもてはやされ方というのは、とかく
手術を受け、手術が終わった、その時が言わば"ストーリーのフィナーレ"。
「Gift of Life」を与えた者と与えられた者との"愛の物語"に
移植医療に無関係な人々は、たやすく感動する…
ただ!!
レシピエントとして当然のこと、それ以上の自己管理を徹底してもなお
自分ではどうすることもできない原因で、移植した腎臓が廃絶してしまった私としては
来るべき献腎移植を考える際には
腎移植医療の「明」よりも、「暗」を想定してしまう、つまり
やっと頂いた腎臓が廃絶する時、つまり「死体腎」のゴールから逆算してしまう。
移植腎が機能するのが約10年と考えると…
60手前で移植を受けたとして、70辺りで透析再導入か…
70歳で、今と同様の在宅血液透析が、はたしてやれるのか?
どうせ透析再導入が待っているのであれば、手術はもう少し後ろにスライドした方がいいか?
かといって、あと10年も今の在宅血液透析を続けるのは、流石にしんどいな…
- 透析を経験しているからこその感覚
- 移植腎廃絶を経験しているからこその感覚
「腎移植医療」をトータルで考えられるという点においては、決して悪いものではない、と
コーディネーターさんは優しく仰っていただきましたが。
実際、腎保存期での生体腎移植を希望するも
止む終えない事情で、"一旦"透析導入を余儀なくされる患者もいるようで
その場合にも、患者に
「腎移植前に透析を経験することは、悪いことばかりじゃない」
と言葉をかける場合もあるらしい。「より深く、己を知れる」といったところか。
まあ、透析を知っているから、なおのこと
移植腎廃絶後の透析再導入が、より苦しいものになることも、またあるのでしょうが…
「(順番)もうすぐかも」と欲張っても
こればっかりは、自分ではどうすることもできません。
医学が飛躍的に進歩して、もしかして
"埋め込み型人工腎臓"が、実用化するかもしれない
自分の"クローン腎臓"を移植できるようになるかもしれない
期待せずにはいられない事象がいくつかありますが
透析=在宅血液透析11年目の私がやるべきことは
毎日毎日、粛々と
安全に正確に確実に
「在宅」で「血液透析」を施行し続けること。
大変ですが、生きるため
待っているであろう、より良い未来のために
頑張りましょう。
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