2013年8月の在宅血液透析(HHD)開始から、
今年2020年で8年目。
ここいらで、
自身の在宅血液透析(HHD)生活を、
【在宅透析の歴史】自身の在宅血液透析(HHD)生活を振り返る(2013~2019)
ポイント
[su_spoiler title="2013年"]・在宅血液透析初年度[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2014年"]・気絶
・拒絶反応?[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2015年"]・シャント閉塞[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2016年"]・父の死
・選手権決勝&行政書士試験[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2017年"]・行政書士試験合格[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2018年"]・パニック症状[/su_spoiler]
[su_spoiler title="2019年"]・高熱下での透析[/su_spoiler]
2013年
在宅血液透析初年度
この年の2月、
急性心膜炎で約1カ月入院しております。
この急性心膜炎の発症で
僅かに残っていた腎機能が一気に低下し、
透析が決定的となりました。
私の場合、
腎保存期での生体腎移植、
その移植腎廃絶後ということなので、
在宅血液透析初年度であると同時に
血液透析そのものが初年度ということになります。
シャントを造設するのも初めて。
当初の透析スケジュールは、試運転の意味もあり、
透析回数週3.5回(隔日透析)
透析時間5h
その後11/30から
透析回数週4回(月・水・金・土)
透析時間4.5h
当初のドライウエイト(DW)は50㎏!!
現在のドライウエイト61.8㎏であることを考えると、
少々驚き。
浮腫み込の50㎏ですから。
食べれていなかったのか、筋肉が相当量落ちていたのか。
血圧は常に高めの値。
DWの調整と降圧剤を服用していましたが、
透析当初ということなのか、
今思うと、
DWがなかなか定まらない時期でした。
2014年
気絶
透析回数週4回(月・水・金・土)は変わらず。
ただ、時々土曜日だけ時間5h~5.5h行ってました。
2013年高血圧傾向にあった血圧が、
この年に入ると一転低下傾向に。
1/25
透析終了時血圧80/45で
生食(生理食塩水)を200㎖注入しております。
2月下旬から3月
透析中の気分不快が多い。
当時の気分不快は、
特に上半身がムズムズしまして、
鬱陶しくて仕方ありませんでした。
リクライニングチェアで透析しているのを、
無理やりその場、地べたに横になったりしてました。
あまり効果はありませんでしたが。
4月は入っても頻脈、気分不快は続き、
DWを増やしても、気分不快はなかなか解消されません。
気分不快で透析を途中終了する日も散見されます。そして、
5/21
透析中、気を失ってしまいました。
当時を反芻すると、
まず、上半身のムズムズが始まり、
その後頭の中がスーッとして、
視野が遠く、狭くなり・・・
気絶してる当人は分からないのですが、
周囲にいた妻と母の話では、
徐々に唇が変色し、
一瞬白目を向いて後ろに倒れたそうです。
気絶してる時間は一瞬で、
気絶ー覚醒ー気絶ー覚醒
を繰り返し、その覚醒の間で
なんとか自力で返血を行いました。
その間、妻が119番に電話。
状況説明をしてくれていましたが、
返血するにつれて気分も少しずつ落ち着きを取り戻したこともあり、
拒絶反応?
9月から金曜・土曜だけだった連日透析を増やし、
2日やって一日休む
のスケジュールに。
時間4h
実は、
年始から某市役所で公務員として働くことになりまして。
職場が近隣市区町村であれば、
在宅血液透析を行いながらフルタイム勤務出来るかと思っての決断。
ただ、ふたを開けてみると、難しいものがありました。
自身の身体のことに加えて、
母も手術や入退院を繰り返していた時期で、
肉体的精神的にキツイものがありました。
2月、6月、8月、9月と、
診断書を役所に提出し、休むことしばしば。
そして10月に入ると、
透析中の悪寒、発熱が目立つようになりました。
透析後にはかなりの高熱になることも。
血尿も出ました。
なかなか原因が分からなく、
キツい日々が続くのですが、
抗生剤を服用してから症状が落ち着きました。
結果、主治医の見立てでは、
移植腎が拒絶反応を起こし炎症、
その状態で透析したことで高熱が出たのでは、と。
状態は落ち着きを取り戻したものの、
当初思っていたようにフルタイム勤務することは難しいと判断、
退所するに至りました。
短い公務員生活でしたね・・・
DW
50↗51.5↗52↗52.5↗53.5↗54↗54.5↗55.5↗55↘54.5↘54↘53.5↘53↘52
2015年
シャント閉塞
この年、シャントが閉塞しました。
7/18㈯
いつものように透析しようと思ったところ、シャントのスリル・音がない。
血流量150ml/min、
腕を下げ上体おこして、なんとか透析をするも、
3h経過したところで油汗が出始め、意識消失。
ただ、前回に比べて短期間&低頻度(1回)の意識消失。
返血後、生食を約50ml注入する。
7/19㈰も同様の体位で無理やり透析2.5h。
除水出来ているようだが、
果たして、この時「透析が出来た」と言えるのだろうか、と思う。
バスキュラーアクセス(VA)にスリルと音が無いわけですから。
血流量を下げて、腕を下げ、
ピローに無理やり張りをもたせて、
❝透析やってる気❞になっていただけかもしれません。
血の色もいつもと違って暗褐色(静脈血??)でしたから。
7/20㈪
管理クリニックへ。
VA付近に抗凝固剤を注入するも血流は回復せず。
その日は鼠径部穿刺で3.5h透析を行う。
7/21㈫
生体腎移植をした大学付属病院に入院。
検査の結果は
シャント静脈吻合部は明らかな閉塞所見は認めません。
左シャント静脈は、吻合部から中枢側へ、約20mm程度閉塞し、閉塞部の中枢部は狭窄しています。
閉塞部より中枢側のシャント静脈は、内部に血栓の所見は認めません。
つまり、血管内一部分に閉塞が認められたわけです。
7/22㈬
シャントの再造設手術を行う。
翌日院内で4hの透析を行い、退院の運びとなる。
シャント閉塞の原因として考えられるのは、
閉塞前日のゴルフ( ̄▽ ̄;)
久々に友人とゴルフコースに出たのですが、
その日はあいにくの雨模様、それでいて蒸し暑い。
熱が籠りやすいウインドブレーカーを着用していたので、
脱水気味だったのかも、
それが原因でシャントが閉塞してしまったのか、と推察されます。
DW
52↗52.5↗53↗53.5↗54↗54.5↗55↗55.5↗56↗57↗58.5↘58
2016年
父の死
この年の7月、父が亡くなりました。
3月に癌と分かってから、あっという間でした。
7月のある金曜日の夜
その日は母も抗がん剤治療のため入院中。
いつものように2階で透析していると、
下から父の声が。
妻が駆け付けると、居間で倒れていたという。
透析をしながらですが、救急車を要請。
救急車への同乗を妻に託し、
私は後から搬送先の病院へ向かうことに。
私もすぐ返血し透析を終了し、病院へ向かおうと思ったのですが、
1階へ降りてみると、父のタール便が散乱していたので、
駆け付けた姉とともに、その清掃&消毒をし、病院へ。
結局、翌々日の日曜日早朝、亡くなるわけですが、
その間透析は、病院を行き来する合間に行ってました。
2hの短時間ではありますが。
亡くなった後、通夜、告別式と続く中、
ここでも、合間をぬって短時間の透析を行っていました。
選手権決勝&行政書士試験
ここは透析とは関係ないのですが・・・
10月に入ると、
甥っ子の高校サッカー選手権県予選が毎週末行われ、
あれよあれよと勝ち進み、11月の決勝、三ツ沢のピッチに立つことに。
小学校低学年から毎試合観戦をしていた私。
選手権決勝の三ツ沢の舞台は、私のとっても夢舞台。
まさか、
試合当日が行政書士試験と重なるなんて・・・
これも何かの縁だと。
「お互い頑張ろうぜ」と甥っ子とエールを交わし、
彼は三ツ沢のピッチへ、私は試験会場の青学キャンパスへ向かうのでした。
DW
58↗58.5↘58↘57.5↗59
2017年
行政書士試験合格
序盤は、
透析後半に頻脈となること多く。
5/23より
透析回数週6回(土曜休み)
時間3h
現在の透析スケジュールに変更。
前年、涙を飲んだ行政書士試験に、
この年、見事合格。
DW
59↗59.5↗60.3↘60.1↗60.5↗61.3
2018年
パニック症状
透析回数週6回(土曜休み)
時間3h
最初こそ、
毎日透析することに、負担を感じていましたが、
この頃になると、
長くやるより毎日やる方がマシ
と感じるように。
3月下旬
血圧高め、DW調整で様子見。
9月下旬~
胸部違和感や気分不快あり。
胸部違和感というのは、
胸がキューっと押される感じ。
また、この時期、
透析中に❝過呼吸症状❞が多く見られた。
実際、過呼吸ではなかったかもしれませんが、
透析中、まず胸部に違和感が出だし、
その後、時折パニックに近い症状で、
呼吸しても息が入っていかない感じがして。
自分で気持ちを落ち着かせようと、
途中、お茶を飲んだり、チョコを食したり、と。
色々試行錯誤しながら、なんとか乗り切りました。
DW
61.3↘61↘60.2↘59.8↘59.2↘59↘58.7↗61↘60.5↗61.2
2019年
高熱下での透析
年明け早々から体調不良が続く。
1月中旬
風邪症状あった時いつも通う近くのクリニックがたまたま休みで、
やむなくお初のクリニックへ。
そこでインフルエンザとの診断。
タミフル処方かとおもいきや、ゾフルーザを処方される。
実はインフルエンザ簡易検査では陰性。
ただ、そこの医師は症状からインフルエンザだろうということで、
しかも「新しい薬がある」ということでゾフルーザを処方。
半信半疑ではありましたが、こちらも身体がキツイので、
指示通りゾフルーザを服用。
翌時になっても熱は下がらず。
下がらないどころか、ゾフルーザの薬疹が出る始末。
いつものクリニックで抗生剤と解熱剤を処方してもらう。
ゾフルーザを早く排泄しようと、
長時間透析(6h)透析を1回行いました。
効果があったのかは分かりませんが。
4月にも体調を崩す。
悪寒から高熱へ。max39.2℃
透析を行うか回避するかは、体調を見極めながら判断するしかない。
懸案は、
回避したとして、翌日体調が回復する保証がないということ。
案の定、
この時は、回避翌日も高熱は続き。
❝前日透析していないのであれは、
2hでもいいから、出来るだけ透析はやったほうが良い、
そうすれば、翌日休める❞
との医師のアドバイスのもと、
高熱ではありますが、透析を強行しました。
高熱で頭はボーっとしてますので、
穿刺は3度失敗しました。
たった2時間ですが、あれほど長く感じられる透析はありませんでした。
DW
61.2↘60.5↗61.5↘61↗61.7↘61.5↗61.8
まとめ
- 急性心膜炎
- 初・血液透析、在宅血液透析(HHD)導入
- 母の癌
- 父の癌、そして死
- 行政書士試験合格、開業
こうして振り返ると色々なことがありました。
現在、
自分の身体のことだけでなく、
母の闘病生活もあり、
なかなかスッキリというわけにはいきませんが、
今こうしてブログを書けているということは、
この数年に比べて、
いくらか生活が落ち着いているということではないか、と思います。
これから長く続く私の透析生活の中にあっては、
この8年は、ほんのひと時でしかないのでしょうが、
非常に中身の濃い時間であったことは、間違いないと思います。
これからも、紆余曲折はあろうかと思いますが、
自分を見失わず、人生をより善く生きるための努力をしよう。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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