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腎臓移植

【腎移植患者の心理】生体腎移植ドナーが、ガン患者となったら…レシピエントとドナーの"人生会議"

2021年12月14日

mother,

2020年1月から

プロジェクト『腎生を善く生きる』を開始すると同時に

これまで全く縁遠い存在であったSNSを利用するようになった私。

大きな変化としては

これまで見聞きすることの無かった

他患者様の「今」を垣間見れるようになった、ということ。

その過程で、残念ながら

私にとっては、不都合な情報を見聞きすることも、正直ある。

特に「腎移植」領域では…

母をドナーとした先行的生体腎移植手術を受けるも

残念ながら移植腎廃絶した私ですので

生体腎移植手術を受け、現在その移植腎が生着し

体調が比較的良好な他患者様の「言葉」一つ一つに

どうしても"センシティブ"には、なる。

その一端は、下記ブログで綴らせて頂きましたが

「不都合な情報」とまではいかないまでも

「違和感を感じる」という情報も、またある。

お断り

誤解無きよう、早々にお断り致しますが…

「違和感を感じる」というのは、決して

「良い/悪い」の話をしているわけでは、断じてない、ということ。

ご家族の背景/当事者間の関係性/パーソナリティ等の違いで

種々の感情が存在するのは、当然。

あくまで私と少々異なる、だから

「違和感を感じる」

ただ、それだけのことです。

その一つが

生体腎移植手術を受けた患者様、特にレシピエント側が

SNS上で表現する、ドナーへ抱く感情、です。

例を挙げてみると…

  • 心に残るわだかまり
  • 罪悪感
  • 一生背負い続ける悔恨(後悔し残念に思うこと/くやむこと)
  • 贖罪

上記のような感情は、時に

ドナーが体調不良となったりすると、大きくなる様子。

この手の感情をSNS上で表出する方々は、散見どころか

至る所で見受けられます、つまり

移植腎レシピエントがドナーに対し、この手の感情を抱くことが

マジョリティーなように(SNSを見ているとそう)感じざるを得ない。

なぜ、私が"違和感を感じる"のか、それは

私のドナーである母が、がん患者だから…

「ん?だったら尚更!!」

そりゃ、そうですよね💦何となく"矛盾"してるように見えます。

しかし、私にとっては

私のドナーである母が、がん患者だから"こそ"

腎移植レシピエントがドナーに、上記のような感情を抱いているのを見聞きすると

"違和感を感じる"のです。

(その理由は、ブログの「まとめ」でお話致します。)

上記ブログでご紹介した

サイコネフロロジー」と「サイコオンコロジー」という

似て非なるこれら学問領域。

※「サイコネフロロジー」がメインで「サイコオンコロジー」は"触れた"程度

私のドナーである母は

約8年前(2021年12月現在)にガン宣告を受け、現在も闘病を続けるがん患者です。

そんな母に、2021年の1月頃

生体腎移植のドナーであった母が

ガンの告知から現在までに辿った『心理的プロセス』について

生体腎移植のレシピエントであった私が"インタビュー"をしました。

そこで感じたのは…

母にしかわかりえないこと、私にしかわかりえないこと、そして

2人にしかわかりえないことが、ある、ということ。

これら複雑に絡み合う心情を言語化する作業は、非常に困難ではありますが

今回、現時点で出来うる形にして

"腎移植ドナーがガンになる"という一例を

当事者としての思いも合わせてご紹介させて頂きました。

そこから「違和感の理由(わけ)」が垣間見えるかも…

最後までお付き合い下さいませ。

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【腎移植患者の心理】生体腎移植ドナーが、ガン患者となったら…レシピエントとドナーの"人生会議"

サイコオンコロジーと『死の受容の五段階』

そもそも「サイコオンコロジー」とは、何ぞや?

一般社団法人 日本サイコオンコロジー学会のHPには、次のような記載がございます。

サイコオンコロジー(Psycho-Oncology)は、「心」の研究をおこなう精神医学・心理学(サイコロジー=Psychology)「がん」の研究をする腫瘍学(オンコロジー=Oncology)を組み合わせた造語で、「精神腫瘍学」と訳され、1980年代に確立した新しい学問です。

(引用元:一般社団法人 日本サイコオンコロジー学会)

また

サイコオンコロジーの臨床・実践活動に取り組む専門家を"サイコオンコロジスト"というそうで

その"サイコオンコロジスト"の役割として3つを挙げています。

  • 疾病や治療に関する適切な情報を提供すること
  • 決して孤立しないように情緒的に支えること
  • 治療を続ける上で患者さんを悩ます不眠や不安、気分の落ち込みに対して、精神医学的な治療を含めたサポートを用意し、最善の治療を受けられるように医学的なサポートを提供すること

(引用元:一般社団法人 日本サイコオンコロジー学会)

サイコネフロロジー領域における「透析患者のたどる心理的プロセス」

この心理的プロセスと類似するものとして

エリザベス・キューブラー=ロス氏が提唱した

「死の受容のプロセス(死の受容の五段階)」というものが

サイコオンコロジー領域にもあります。

"個体としての「死」"を、患者が『受容』するまでの心理的プロセス

"雛型"のようなもの。

CKD(慢性腎臓病)患者の場合

腎機能が廃絶つまり腎臓が「死」に至っても

個体としては生存する。

別の言い方をすれば、腎「死」を"受容"し

腎代替療法(ここでは透析)を施行しながら生き続けることはできる。

一方、エリザベス・キューブラー=ロスの提唱する

心理的プロセス上にある"受容"の概念には

個体としての「死」の意味をも包含します。

受容いかんに関わらず、個体死に至るわけですから。

サイコネフロロジー領域における「透析患者のたどる心理的プロセス」内の"受容"と

サイコオンコロジー領域における「死の受容のプロセス(死の受容の五段階)」の"受容"とには

その意味合いに違いがあるようです。

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ガン告知~現在までの振り返り

お断り

最初にお断りを。

私は医師ではないので、これからご紹介する内容の表現は

医学的専門的には"不正確"である可能性が大いにありますこと

あくまで"素人"はこの程度の認識だ、という点

何卒、ご了承下さいませ。

大腸がん手術

ある時、うつ伏せ状態で胸に違和感をおぼえ、病院で検査をし

結果、「乳がん」と診断(告知)されたのが始まり。

「乳がん」の手術に向けた入院中の各種検査で

「大腸」にも癌があることが判明し、その「大腸がん」の方が深刻である、と。

そこから急遽予定を変更し「大腸がん」オペが施行されることとなりました。

大腸がんの主病巣は摘出したとの主治医からの説明を受け、一同ホッとしたところでしたが

「直腸」に、オペで開腹した時点では癌か否かの識別し難い"モノ"があったようで

それが何なのか、病理検査の診断を待つことに。

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腹膜播種

「直腸」にあった"モノ"が悪性腫瘍であることが、病理診断の結果明らかになりました。

その帰結として…

「大腸がん」オペ前の説明では

画像診断上、癌の腹膜への浸潤は"恐らく"認められない、とのことでしたが

「直腸」に転移性の悪性腫瘍が認められたことから

癌の腹膜への浸潤が「大腸がん」オペ時点で進んでいたことになる、つまり

母の身体は"腹膜播種"の状態である、と伝えられました。

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乳がん手術

「大腸がん」オペの同年、オペから数か月後に「乳がん」の手術が施行されました。

「乳がん」手術に向けては

癌の腹膜への浸潤アリと診断されたことで、母の心理的動揺は相当なものでしたが(後述)

当初の予定通り「乳がん」手術は行い、そこから

長い、長い抗がん剤治療が始まるわけです。

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抗がん剤治療

PET(positron emission tomography 陽電子放出断層撮影)では

残念ながら

腹膜播種を裏付けるがごとく、「直腸」他、複数個所に癌が転移していることを示していました。

特に厄介だったのが「縦隔」へ癌が転移していること。

「縦隔」とは…

左右の肺に挟まれた空間で

心臓、大血管、気管気管支、食道、胸腺などの臓器が存在する場所を指します。

(引用元:慶應義塾大学医学部呼吸器外科HP)

結論から申し上げますと(2021年12月現在)長年の化学療法の甲斐もあり

「直腸」をはじめ、縦隔"以外"の転移ガンの数は、表向き"減少"はしました。

しかし、縦隔へ転移したガンだけは、小さくなったり大きくなったり…

今現在も尚、一進一退の状態で推移しています。

補足

>縦隔"以外"の転移ガンの数は、表向き"減少"はしました

と表現したのは、2021年12月現在に至る過程で

複数の場所にガンが「見つかっては"消え"」時に

「"大きく"なったり"小さく"なったり」と

縦隔への転移ガンに限らず、全般的に一進一退の状況であることに変わりなく

縦隔への転移ガンだけが、これまで"消失"したことが、ない

という意味を表現したかったということ。

その要因の一つが、縦隔へ転移してきた原発巣がどこなのか

「大腸がん」なのか「乳がん」なのか

生検をし組織診断をすれば明らかになるそうですが

先述したように、縦隔という臓器は

"心臓、大血管、気管気管支、食道、胸腺などの臓器が存在する場所"ゆえ

同場所の癌を生検することは、かなりリスキー。

したがって、現在(2021年12月現在)に至るまで

大腸がん"系"の抗がん剤

乳がん"系"の抗がん剤、更にはホルモン療法といった

数種類の抗がん剤の投与・服用、複数の治療を施すことになるわけです。

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放射線治療

化学療法を開始した当初から、縦隔の転移ガンへの放射線治療効果については

あまり期待できない上、当然、副作用もあるので

医師の総合的な判断として、放射線治療は行ってきませんでした。

ただ、家族の一人としては、素人判断ですけど

「放射線治療、やってみたらいいのに…」とは思っていました。

が、一方で担当の主治医には全幅の信頼を置いていたので

先生の治療方針に素人が"横やりを入れる"ことに抵抗があり

こちらからお願いすることがありませんでした。

それが一転

「放射線治療をやってみましょう」

となりまして。治療方針に至る先生の真意は分かりかねますが…

私としては(治療効果がないかもしれないが)放射線治療をポジティブに捉えていました。

放射線治療は計20数回、毎日母自ら車を運転して通院治療しておりました。

治療前半こそ、副作用らしき兆候は一切ありませんでしたが

次第に「食道」の違和感が生じはじめ

治療終了数週間後には、飲水もままならない程の痛み症状があり

本人、かなり苦しい日々が続きました。

現在(2021年12月現在)

食道の痛みは無く、食事摂ることに支障は全くありませんが

照射の際の、健全な周辺臓器への不可抗力は避けられず、結果

「肺」への悪影響で、激しい咳き込みが止まらないことも、多々ある状態。

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そして"打つ手"が無くなった…しかし

「脾臓」へ癌が転移。

一時、化学療法の効果でガンの収縮は見られるも

2020年6月のCT画像診断の結果、癌が進行。

縦隔はもちろん、特に脾臓へ転移したガンは

素人が見ても、明らかに"巨大化"していました。

時に、化学療法開始してから7年弱が経過

投与・服用した抗がん剤の種類は数知れず、結果

次の一手となる薬剤が"無くなった"。

が、その告知があった翌週の外来で

「やって後悔するより、やってみて後悔した方がいいのでは?」

との先生の勧めで化学療法の継続。

使用する抗がん剤が乳がん"系"の薬。

前回外来時、先生の中では

「現在の母には、体力的に当該乳がん"系"抗がん剤投与は難しい」

との判断だったようです。

この治療が功を奏し、数カ月で効果、特に

脾臓に転移したガンの収縮は、目を見張るものがありました。

2020年末のCT画像診断でも

当該抗がん剤に一定の効果が見られることが確認され

なんとか穏やかな気持ちで、新しい年を迎えることができました。

ただ、やはり乳がん"系"の抗がん剤は、副作用がキツそう…。

開始から2~3カ月間は

投薬から投薬の期間である2週間のうち、半分の1週間は比較的体調良好でしたが

その後は終始、体調不良・気分不快。そのまま次の投薬へ、という状況。

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がん闘病は『死』の《受容》から

腎移植レシピエントで透析患者である私と、

腎移植ドナーでがん患者である母。

腎機能廃絶といった腎臓"死"はもちろん

腎機能廃絶に伴う社会的立場や、自己イメージ・自律性の『喪失』を

《受容》し生き続けなければならない私

"個体としての「死」"を《受容》してもなお、生き続けている母

"インタビュー"を行ったのは、2021年1月。

そこで語られた、母の

癌及び"個体としての「死」"を《受容》するまでの心理プロセスについて、お話します。

先にご紹介した『死の受容のプロセス(死の受容の五段階)』

  • 第一段階/否認と孤立
  • 第二段階/怒り
  • 第三段階/取り引き
  • 第四段階/抑鬱
  • 第五段階/受容

母によると、がんの告知(「乳がん」ではなく「大腸がん」)から早い段階で

"個体としての「死」"が自身に訪れることは《受容》していたという。

「大腸がん」の手術から「乳がん」の手術までの間に

癌の腹膜への浸潤が確認されたことで、私と姉の前で

「もう(手術をせず)このまま死なせてくれ」

と、涙ながらに訴えました。が、母の話では

"個体としての「死」"が訪れること、そのものの恐怖といったことではなく

手術後の苦しみを、もう味わいたくないというものだったそうで。

というのも、確かに

「大腸がん」手術直後は、傍から見ていて辛く、心身共に苦しそうでした。

あの時の苦しみはもう御免だ、ということでの

「もう、このまま死なせてくれ」

だったそうです。

ただ

自身がガンとなり、"個体としての「死」"を《受容》したということと

その後気持ちが平穏で過ごし続けられる、ということとは別、であるように

一番傍で見ている私の目には映っています。

その一例として挙げると、先述した

"次の一手となる薬剤が無くなった"

と告知された時。

本人、既に"個体としての「死」"を《受容》しているとは言うものの

より「死」がリアリティを帯びてくると、当然、心穏やかではありませんでした。

現在SNSの世界を見ていると、「緩和ケア医療」に携わる医師の方々が

患者はもちろん、医療従事者にも未だ根強い

「緩和ケア」への"誤った認識"を正すようなツイートを多く目にします。

以前、下記のような緩和ケア専門医の方のツイートを目にしました。

このツイートを受けて、別の緩和ケア専門医の方がなされたツイートが下記。

仰ることは理解できるし、理解しようとは思いますが

当事者の家族の一人としては、言語化できない"モヤモヤ"感は残ります。

日々、人間の「死」と向き合われている医療従事者。

もがき苦しみ葛藤しながら、答えなき"答え"を探求し続けてらっしゃるわけですよね、おそらく。

そんな医療専門家の方々の言葉や価値判断は、限りなく「正」に近いのでしょう。

そうだと分かっていても、それを飲み込めない事情は、患者及びその家族には、あることでしょう。

いや、ありますね、実際的に…

先に、"サイコオンコロジスト"の役割をご紹介しました。

  • 疾病や治療に関する適切な情報を提供すること
  • 決して孤立しないように情緒的に支えること
  • 治療を続ける上で患者さんを悩ます不眠や不安、気分の落ち込みに対して、精神医学的な治療を含めたサポートを用意し、最善の治療を受けられるように医学的なサポートを提供すること

上記は、決してその道の専門家のみの役割ではなく

患者の一番身近にいる家族にも、当然ながら求められるものだと

私自身は、現在進行形で強く認識しています。

思考・熟考することが止むことは、ありません…。

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"生かされている"~『生』の原動力~

今の母にとっての『生』への原動力、それは

自分の『生』への執着ではなく

「大切な人々のために"生きる"」

私や姉のため、自分の兄弟(※母は5人兄弟の末っ子)のために"生きる"

そう話す母の心情には、一片の曇りもないように私には感じられました。

現在までの闘病の間に、例えば

同時期に化学療法を行っていた患者さん、友人の旦那様、他…

多くの方がお亡くなりになられています。そこには当然

2016年に食道がんで亡くなった私の父も含まれます。

そうした中で、今母は生きている。

これまでの病状から「生かされている」とさえ思うこともあります。

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まとめ(違和感の理由)

thanks,

2021年12月現在の状況をご説明すると…

先述した

"脾臓への転移ガンが巨大化するも、化学療法で落ち着きを見せた"件ですが

残念ながら、今年の中頃から投与する抗がん剤が"効かなく"なり(腫瘍マーカー上昇)

薬を変更(※もう何度変更したかわからない…)

ホルモン療法と別の抗がん剤服用との併用。

この薬の副作用が、またキツくて…

服用期間を短縮しながら、なんとか継続中。

変更した薬が功を奏し、腫瘍縮小が見られたのも束の間

今度は"子宮体癌"の疑い…

婦人科で受診

組織を病理に出すのですが、その結果の前段階で

医師の"見立て"で「ほぼほぼ子宮体癌だろう」と。

流石にこれには、母曰く

「これまでで、一番堪えた…」と。

ところが、これが"嬉しい誤算"

病理検査の結果、悪性腫瘍ではなかった、との診断。

こんなキツい状況が、これまで何度あったことか。

そして、これからもあるんだろうな…

それでも

「大切な人々のために"生きる"」

この一心で、母は闘っています。

一番身近で、一緒にいる時間の長い私の役割は、決して小さくないこと、理解しています。

私に何ができて、何ができないのか、模索は続きますが

母の横で一緒に"走ること"はできます。

一日一日を大切に…。

そんな毎日を過ごす中で、ふと思った(思っちゃった)のです…

生体腎移植レシピエントがドナーに対し

  • 心に残るわだかまり
  • 罪悪感
  • 一生背負い続ける悔恨
  • 贖罪

といった感情を抱いている多くの実状を、SNS上で見聞きして

「この方々の"基準"でいったら、俺はどうなっちゃうの?」と😂

自分のドナーがガンに侵され(しかもかなり深刻)

当然

私に腎臓を一つ提供したために、一つしかない腎臓の機能も

日に日に低下(血中クレアチニン値上昇)してますよ…

苦しく、壮絶な闘病生活を送るドナーである母の姿を傍らで見ている

俺は、彼等の"基準"でいったら、どうなっちゃうの?と😂

こんな私を

同じレシピエントとして上記のような感情を抱かないことを理由に

「非情だ!」「冷酷だ!」

とされるのは、流石に心外ですが💦

今の私に言えるのは…

ガン闘病中で腎移植ドナーでもある母の横で一緒に"走って"いる私には

ドナーの母に対し

  • 心に残るわだかまり
  • 罪悪感
  • 一生背負い続ける悔恨
  • 贖罪

なんて感じてる"暇"ないんですよ!

母と一緒にガンと闘ってるんで!

ということなんですね。これが、私が抱く

「違和感の理由(わけ)」

お断り

再度、お断りを。

決して、生体腎移植ドナーに対して

  • 心に残るわだかまり
  • 罪悪感
  • 一生背負い続ける悔恨
  • 贖罪

といった感情を抱く生体腎移植レシピエントの方々を

"ディスって"るわけでは、断じてありません!!

むしろ"そう"抱く方が、マジョリティーなわけですから。実際

「腎移植後のレシピエントの心のケア」

というのは、医療者側も意識する問題なようですし…

実状は理解し上で、私は

「(ドナーである母と共にガンと闘っているので)そんな"暇"ない」

というだけ。加えて

"腎移植ドナーがガンになる"という一例を

当事者としての思いも合わせてご紹介した、ということです。

補足資料


今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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