在宅血液透析では、必須の自己穿刺。
その手技については、各医療機関のサイトで詳しく説明されています(多分・・・)。
しかし、文字通り、
自分で自分の腕・血管に針を刺す
その時、患者自身が持つ感覚を描写しているところは、あまりお目にかかったことがない。
ならは、この自己穿刺の「言語化」を試みよう、というわけです。
【在宅透析と自己穿刺】❝自分で自分の腕・血管に針を刺す❞、その感覚を「言語化」してみた
はじめに…
まず
自己穿刺の各フェーズを、5段階に分けてみました。
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- 金属針が皮膚を突き抜ける時(第一段階)
- 金属針が皮下を通過し、先端が血管をとらえた時(第二段階)
- カニューラ先端で血管壁を突き破る時(第三段階)
- カニューラ先端を血管内部で押し進める時(第四段階)
- 金属針を抜く時(第五段階)
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各ステージの言語化を始める前に、
自己穿刺と他人穿刺との、メンタル面における決定的な違いを、「序章」として説明しようと思います。
自己穿刺の「序章」
自己穿刺と他人穿刺との決定的な違い。それは
能動か受動か
という点。
能動というのは、自分の腕に針を「刺す」。
受動というのは、自分の腕に針を「刺される」。
ただ、
自己穿刺の稀有なところ、それは、
「能動的側面」と「受動的側面」を併せ持つ
ということ。
つまり、
針を持つ手(私の場合は右手)は、腕に針を「刺す」という能動的行為だが、
シャント肢側は、他人穿刺同様、腕に針を「刺される」という受動的行為。
針先と皮膚との距離が近づく刹那、
この「能動的行為」と「受動的行為」とが同時に行われる。
まさに、
sadisticな自分とmasochisticな自分とが
脳内で、せめぎあいを展開するのです。
金属針が皮膚を突き抜ける時(第一段階)
まずは第一段階、金属針が皮膚を突き抜ける時。
痛みとしては、文字通り
「刺すような」痛みです。当たり前ですが・・・
序章で述べた、
sadisticな自分とmasochisticな自分とのせめぎあい
は、金属針の先端が、穿刺部位の皮膚に最も近づいた時、最高潮に達します。
ただ、
金属針先端が皮膚に触れ、同時に皮膚を突き抜けた瞬間、
そのバランスは、穿刺による痛みにより、やや受動側が優勢となります。
一瞬だけですが・・・
補足
痛みについて。
皮膚の痛点による痛みはもちろんですが、時々、
皮膚直下の神経に触ってしまった場合(※専門的には間違った描写かもしれませんが・・・)
穿刺した部位から手の先の方向へ、「ビリッ!」と
電気が走るような感覚があります。
一度乗った船、もう後戻りはできませんので、
ここで先へ進めるか、気持ちの強さが求められます。
金属針が皮下を通過し、先端が血管をとらえた時(第二段階)
第二段階、金属針が皮下を通過し、先端が血管をとらえた時。
金属針が皮下を通過する道中、血管への距離によって
時間が長く感じられるときもあれば、あっという間に感じられる場合もあります。
ただ、通過時間が長く感じられるということは、往々にして
金属針が、first-attemptで血管をとらえることが出来ていない可能性があります。
その時は、個人的にストレス度は高くなります。
なぜなら、
金属針を先へ進めていいのか否かの判断が、難しい
から。つまり、
血管がやや深部にあることで
単に金属針が血管に達していないケースは、前進する意味はありますが
そもそも、穿刺箇所や針の進入角度が間違っていた場合
無理に針を進めていった先は、まさに地獄。ただ痛いだけ。
その判断は、未だに難しい。
補足
金属針の先端が血管に達し、血管の壁を突き抜けた時、
その❝突き抜けた感❞が分かる場合と、ほぼ感じられない場合があります。
血管の状態、駆血具合、当日のメンタル等々。
要因は色々あります。
カニューラ先端で血管壁を突き破る時(第三段階)
第三段階、カニューラ先端で血管壁を突き破る時。
金属針先端が血管をとらえ血管壁を突き刺し、脱血が確認出来たら、
針全体をややねかせ、カニューラ(外筒)を血管内に刺し込みます。
金属針と違い、カニューラは先端が鋭利ではないので、
血管壁を突き破って血管内に進入させるには、やや力がいります。
しかも、透析年数が長く、血管の壁が強く厚くなっている場合は、
更に押し込む力が必要になります。
この段階でも、序章で述べた
sadisticな自分とmasochisticな自分 とのせめぎあい
が、脳内で行われることになります。
カニューラが血管壁を突き破った瞬間は、腕の中から、
ブチッ!!
という感覚がはっきりと分かります。ただ、
反応が大きいわりに、痛みはほぼありませんね。
カニューラ先端を血管内部で押し進める時(第四段階)
第四段階、カニューラ先端を血管内部で押し進める時。
前半戦
カニューラ先端が血管壁を突き破って血管内に進入出来たら、
上記「ブチッ!!」という感覚+
血液がカニューラを伝って「皮上」で目視できるので、
自信をもって、カニューラをさらに押し進めることが出来ます。
ただここで、進行途中
血管内の弁にカニューラ先端が突っかかってしまうと、少々やっかい。
弁に引っかかっていることに、100%確信を持てれば、
弁を❝破壊❞し、先へ押し進める覚悟ができる。しかし、
進行する血管の先が蛇行してたり、
カニューラの進行角度が血管の走行とずれていた場合は、
カニューラ先端が、反対側の血管壁でつかえてしまう。
この状態で無理に押し進めたら、これまた、ただただ痛い。
(私の場合、反対の血管壁を突き破った経験はありませんが・・・)
突っかかりの原因が弁なのか、そうでなのかの判断は、これまた難しい。
ただ、
この弁の突っかかりについては、経験かな、と。
弁を❝破壊❞して先へ進み、その際の
「バリッ!!」と、弁を❝破壊❞したという感覚を何度も経験するうちに
先へ進める進めないの判断力の精度は、上がってくるかな、と思います。
後半戦
私の場合、最近、
カニューラ先端が血管壁を突き破った後、挿入半ばで、駆血を緩めます。
カニューラを更に奥に押し進めるのに、個人的に都合がよいから、です。
駆血を緩めると、血流が再開し、シャント肢の感覚が通常に戻ります。
さらに、血管や皮膚もテンションが緩んだ、ニュートラルな状態になるでの、
カニューラの❝自然な向き❞を把握しやすいのです。
(駆血により血管や皮膚にテンションがかかっていると
カニューラがそのテンションで、向きが❝強制されている❞、ような気がして。)
カニューラをより奥まで押し進めるに
その進入角度に、出来るだけ確信も持って進みたいのです。
補足
血管と皮下が、カニューラによって引っ張られている感覚…
皮膚や血管の張りがややなくなることで、この「引っ張られる」感が、あります。
痛みはありませんが、
引っ張られる感覚があるということは、押し進めるのにやや抵抗感があるということ。
したがって、この抵抗感を、
引っ張られていることによる抵抗感なのか
行き止まりによる抵抗感なのか
そこの判断で迷うこともあります。
落としどころしては、やはり痛いかどうか。
痛ければ
カニューラが半ばまでしか血管内に留置できなくても、押し進めることは止めます。
「ちゃんと脱血できて返血できれば良いわけでしょ?」
と自分を納得させて、手技を終えます。
まあ、過去に数回、
血液ポンプを回した段階で、脱血不良、返血不良になったことも、あるっちゃありますけど・・・
そうなったら、すぐ透析中止です。
金属針を抜く時(第五段階)
最終、第五段階、金属針を抜く時。
これは、なんの問題もございません。ただ、スーっと抜くだけ。
痛くも痒くもありません。ただし、
カニューラをしっかり医療用テープで固定していないと、
金属針を抜く際、誤ってカニューラまで抜けてしまっては大変。
その点は、注意です。
まとめ
感覚を「言語化」するというのは、なかなか難しい。
表現しきれていない部分も多々あったかと思います。
在宅血液透析をする患者はそれぞれ、
今回の自己穿刺だけでなく、HHD全体を通して
他の部分でも「独特な感覚」「独特な感情」を持っているのではないでしょうか。
ただ、その感覚・感情を、自分以外の人々に「言葉」で伝えるのは、
非常に難しいと思います。
今回の「感覚を言語化する」という私の試みが
患者本人及び周囲の人々が、目に見えないモノを「類推」する手助けになれたら、幸いです。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。