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在宅血液透析 腎臓移植 透析全般

【透析患者の人生】今更の自己紹介?現在の在宅血液透析(HHD)に至るまでの"歩み"

crossroad,

2020年1月末開設した当ブログ。

2020年9月上旬時点で、なんとかの100記事投稿。

その中で、ちょくちょく私の"歩み"を記述してはきましたが

現在の在宅血液透析導入に至るまでを

「病状と出会い」を話の軸としながら

時系列で簡単に整理しておきます。

今更ながらの"自己紹介"みたいで変ですが…

  • 現在透析をされている方にとっても
  • 腎移植を受けられた方にとっても
  • これから透析を予定されている方にっとても
  • これから腎移植を予定されている方にっとても

「こういう道程もあるのね」

と思える"資料程度"になればな、と。

【透析患者の人生】今更の自己紹介?現在の在宅血液透析(HHD)に至るまでの"歩み"

road,

どこまで遡るか。

生誕まで遡っても仕方ないし、ニーズもないでしょうから…

歩みのスタート時点を

慢性糸球体腎炎

と診断されるキッカケとなった"大学4年次辺り"、とさせて頂きます。

腎炎の疑い

大学4年次

就活前の健康診断で「Cr値」と「尿蛋白」で引っかかり

健康診断をした実施機関から大学最寄りのクリニックを紹介される。

一応は行きましたが

そのクリニックから、さらに市内の中型総合病院へ紹介状を貰うことに。

が、母の「大きな総合病院で診てもらった方がよい」との助言で

東京都内の総合病院へ受診することになります。

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「慢性糸球体腎炎」と診断

受診した総合病院で「慢性糸球体腎炎」と診断。

当時はまだ3カ月に一度の外来で様子見。

栄養指導も少し受けましたが、本格的なものでは、まだない。

今となっては、なぜ

Cr値上「慢性腎不全」となった段階で腎生検を行わなかったのか、謎ですが…

年々上昇していくCr値を見かねた母が

"腎保存療法の分野の名医"であった医師へ直接お願いし

同医師の常勤する都内の大学付属病院へ転院することになります。

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腎保存療法を受けるため転院

最初の総合病院も、次の大学附属病院も都内ということで

毎回の外来は行き帰りの移動時間も含め、一日がかりでした。

素人ながら色々勉強した今であれば

当時の治療方針に関し、取り立てて特別なものという印象は持たないでしょうが

当時は"無知"なもんですから、しかも医師は保存療法では"権威あるお方"。

「24時間蓄尿」だとか「蛋白制限」「運動制限」というワードが新鮮で

「治るんじゃないか?」なんてノー天気に考えてましたね。

管理栄養士による栄養指導もありましたが

それはあくまで考えのベースであって

食事制限は、母の独学と努力によるところが大きかったです。

その大学附属病院の医師の診察を受けたことで

腎機能低下の速度を幾らか遅らせることができたことは、おそらく間違いないところでしょう。

なにせ"腎保存療法の権威"ですから。

しかし、残念ながら

腎機能は低下の一途を辿ります。

母の中では「透析」が現実味を帯びてきたのでしょう。

私の祖母、つまり母の実母が施設血液透析を受けていましたから

血中クレアチニンの基準値についての知識があるわけです。

厳しい食事制限含め、色々なことを"諦めた生活"を続けることで

幾らか腎機能低下の速度を遅くすることは出来るでしょう。

多少語弊があるのを承知で申し上げますが

「透析」という先の見えている状況で

20代後半から30代という、本来なら"バリバリ"の年齢を

"諦めた生活"で費やすのは、もったいない。

透析導入までは、おそらくまだ数年はあったでしょうが

厳しい食事制限、運動制限して「透析」を待つのではなく

「腎移植」の道を、母は考えたわけです。

自分がドナーとなることには、"一片の曇り"もなかったようです。

そこから

生体腎移植を実施している病院を、母自ら自分の足で歩き回り

その後"私の人生を変えてくれた"医師と出会うわけですね。

問題は転院。

腎保存治療の"大先生"にその旨を伝え、治療経過等の医療情報を貰わなければなりません。

下記記事内の「患者に逆切れする医師」でもお話しましたが👇

診察室内での激しい叱責に、ただ耐えるだけでした。

腎保存療法を「是」とする彼にしたら

まだ腎機能が僅かでも残る状態で、健常な人にメスを入れる

まあ、一番は

「この私の治療から他の医師の治療へ鞍替えする」ことが

耐えられない医師だったのでしょう。

激しく叱責された診察室を出た時、すぐお付きの看護師さんがいらして

「ごめんなさいね、いつもああなんです…」とおっしゃっていたので

自分の元を離れる他の患者に対しても同じなんでしょう。

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生体腎移植を受けるため転院

主治医を初め、受持医、看護師、移植コーディネーター

私にとっては最高のチームが生体腎移植に携わってくれました。

信頼感・安心感がありましたから

その後

急性拒絶反応、サイトメガロウイルス感染症、慢性拒絶反応、好中球減少症等

拒絶反応に対するパルス療法、血漿交換等

数々な困難でキツイ状況はありました

主治医とその移植チームのメンバーの方々に全幅の信頼を置いていたので

患者が抱く医療従事者に対する不満・不安は一切なく

病気そのものに体力と意識を注力することができました。

生検の結果で、慢性期の拒絶反応が確認されてからは

主治医もあらゆる手を尽くしてくれましたが、移植腎の機能は低下。

「急性心膜炎」がある種の決定打となり

"透析"が現実のものとなりました。

が、しかし、ここで私が幸運に恵まれたのは

当時の腎移植チームの一人に

自身で開業するクリニックで「在宅血液透析」を行う非常勤医師

今のHHDの主治医がいらっしゃったこと。

透析導入の話を進める中で

最初から選択肢に「在宅血液透析」がテーブルにあったわけです。

もちろん

在宅血液透析のメリット・デメリットに関するレクチャーをしっかり受けましたが

迷いはなく、決断するに時間はかかりませんでした。

その一因には「在宅血液透析」そのもののメリットがあるのは当然ですが

加えて、HHDの医師も私が信頼を置けると思えた人物であったことも含まれます。

なにより、私が「人生を変えてくれた」とも思える腎移植の主治医の薦めですから

疑いの余地は、ありません。

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在宅血液透析導入のため転院

在宅血液透析に対する不安が全く無かったわけではありませんが

決めた以上、前へ進むだけ。

HHD導入時のトレーニングを担当して下さったクリニックの技師の方が

これまた人当たりの良い方で

不要なストレスを感じることなくトレーニングは終了し

2013年の夏、在宅での血液透析をするという

私にとっての「第三の人生」

が、始まったわけです。

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まとめ

thanks

だいぶ駆け足で、現在までの歩みを振り返りました。

その時々で

不安や恐怖、孤独感、喪失感

あらゆるネガティブな感情が自分自身を覆っていて

その渦中にいる時は、ただひたすらにもがくだけ。

状況を俯瞰して自分を適切にコントロールすることなど

到底できるわけはありません。

そんな自分に寄り添い、「道」を示してくれ

そこへ向かう時いつでも手を差し伸べてくれる

素晴らしい医療従事者の方々が、私の周りにはいました。

患者が病気に正しく向き合うにあたっては

家族の支えはもちろんのこと

信頼できる医師やスタッフと出会えるかどうか、という

「運」みたいなものも必要だな、と。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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