在宅血液透析2038回目_📍"健康が全てではないけど、健康を失うと全てを失う"❓
"日めくり KAZU 魂のメッセージ 底力"
私のスタエフは、KING KAZUこと、三浦知良選手の言葉で締めています。
「18日」は…
人生には山も谷もある 谷をも楽しんでいたい
(引用元:"日めくり KAZU 魂のメッセージ 底力")
1カ月「31個」のカズさんの言葉
その殆どに、うなずき、勇気づけられる。
ただ、毎月「18日」のこの言葉を見ると、僭越ながらいつも
カズさんに"ツッコミ"を入れてします。
「カズさん、"谷を楽しむ"って、そりゃムズイっすよ…」と。
ただ、私のここで言う「谷」というのは
世間一般で言うところの「谷」とは、ちょっと違うかな、と思うんですね。
それを痛感したのは、最近のとあるツイート
>健康が全てではないけど、健康を失うとすべてを失う。
リプは概ね好意的。健常者界隈では"キャッチー"なようですが…別の領域では異なる捉え方になるでしょう「健康を失うとすべてを失う」わけではないですよ、と。健常者から見れば「全て失った」と烙印押される我々ですが、我々なりに生きてます😊 https://t.co/2GiWCRWaYv
— 腎生を善く生きる@在宅血液透析(HHD)8年目突入‼️ (@Live_KidneyLife) June 12, 2021
"健康が全てではないけど、健康を失うとすべてを失う。"
今回の"ツイート主"が特別、ということではなく
この手の発言・考え方は、巷には蔓延しているし、"受けがイイ"。
"健康が全てではないけど、健康を失うとすべてを失う。"
この手の言葉に共感し、啓発される多くの方々を、とやかく言うつもりは、ない。
ただ、"こちらサイド"として思うのは
人生における「基準点」が違う、ということ。
上記ご紹介した私のリプライにもあるように
この手の言葉に共感し、啓発される多くの健常者から見れば
私含め現在透析を行うCKD患者さんたちは皆
「全て失った」と烙印押された存在。
でも、我々からすれば、少々ツッコミたくなりますよね。
- 「健康を失うとすべてを失う」わけではないですよ
- 我々なりに生きてますよ
と…
世間一般の「谷」を基準点とするならば
私は「慢性糸球体腎炎」と診断された時から、ず~っと「谷」です💦
したがって、ここでいう「谷」は、もはや私にとっては「谷」ではなく、いわば「平地」
私のいう「谷」というのは、私の"基準点"
現在、在宅で週6回の血液透析を行うという生活=日常の中での「谷」。
その「谷」を「楽しむ」ってのは
「カズさん、"谷を楽しむ"って、そりゃムズイっすよ…」と、なるわけです。
"健康が全てではないけど、健康を失うとすべてを失う。"
皆さんは、どう感じますか?(※ディするのは、なし✖🙅)